ボログ

若手俳優を追いかけて暮らしている

顔面レンタルシステム

「降りる」と言ったが、案の定降りられていない。
というか、ここまでボッコボコにされる前、おつむが幸せだった際に抑えていた現場だったので、降りてようが降りてまいが行かなきゃならない(よっぽど具合悪くなったら欠席しようと思ってたが)。
チケット代もったいないし、今回は友人に同行を頼んでいたから私の都合だけで「行かない」というわけにはいかなかった。


推しと浴衣とわたし

私の推しに関してはもはや「わかる人はとっくにわかってる」と思っているので、あんまりぼかしませんよ。

先日、推しのイベントがあった。
推しは「夏なので浴衣着てきてね!」と言っていて、私も愚かなので「そうか!浴衣だな!」と素直に楽天でポチった。色はおとなしいが、私的にはそこそこかわいいと思う浴衣を買った。
手元にある浴衣は中学生の時に着ていたものなので、さすがにアラサーが着るのは憚られた。最後に浴衣を着たのが13歳なので、実に10…うん年…ぶり……である。
いい歳して若干わくわくしていた。目的が「推しに会いに行く」から「浴衣を着る」になりつつあった。こういう人間が「着物BBA」と揶揄されるんだろうなと思った。


イベント当日、台風襲来
日頃の行いが悪すぎるのだろうか。私はいつもこうだ。「夕方にわか雨が降る」と予報が出ているから折り畳み傘を持って行けばポツリともこない。
逆にシーツとタオルケットと枕を干して出掛けるとバケツをひっくり返したような雨が降る。降水確率20パーくらいなのに。
私はそういう星のもとに生まれたのだと思う。イベント当日も怯えながら着替えとカッパを持って家を出たが、結局、軽く雨にあたった程度だった。

まぁそれは結果論である。前日の私は悩んだ。
悪天候の中を浴衣で行くのは死を意味するのではなかろうか。花火大会が軒並み中止になっているのに浴衣で外を出てみろ。「あの人どうしちゃったんだろう」という哀れみの視線が集中するに違いない(過度な被害妄想)。
だがせっかく楽天で買った浴衣…安物だけど…もったいない…私は喪女で友達もいないので花火大会など行くわけがない。故に、推しのイベントで着ないならもう袖を通すことはないだろう。もったいない…
悩んだ末、私は浴衣を着た。実家にいる家族に頼み、会場近くまで車で送ってもらうことにした。ハンドルを握りながら「今日は仮装大会なの?」と言ってくる家族。私が着飾る=コスプレという認識である。
いくら独身オタクの私でもおしゃれするときくらいある。舞台を観に行くとき、俳優のイベントに行くとき、同人イベントに行くとき、以上だ。


さて、そんなこんなで会場に着くと、他の参加者たちも意外と浴衣を着ていた。ひとりじゃないってステキなことね。
槍が降ろうが台風が迫ろうが、推しに「浴衣できてね!」と言われたらオタクは浴衣で来るのだ。推し諸君は自分たちの言葉の重みを把握してほしい。

イベント自体はとても楽しかった。
推しのことをあまり見ないようにしていたので、精神衛生もわりと保たれていた。トークやゲームコーナーが終わり、チェキ会に移る。
久しぶり…でもないが、推しとまともに喋るのは1ヶ月半ぶりぐらいだと思う。
プレゼントを渡して、チェキ撮って、ちょっと喋って……そうしたら、推しが私の浴衣について触れた。内容は割愛するが、要するに私が着ている浴衣の色柄をからかった。
冗談だとわかっているので笑顔で「も〜ひどいぞ!」みたいにかわしたが、内心ブチギレである。テメェが着てこいって言ったんだろうが。
まぁしかし、この色柄を選んだ私のセンス…という話だし「浴衣を着る」と決めたのも私の勝手だ。キレてはいけない。
1回目の撮影が終わり、2回目を待った(ループOK)。

2回目。推し、再び私の浴衣をからかう。
私「違うって言ってんじゃん(マジトーン)」
しかし推しには私の怒りが伝わっていないらしい。へらへらしている。なんだ君は。小学生なのか?いや、そんなこと言ったら小学生さんに失礼だ。今日日、小学生さんでもそんなからかい方はしない。だいたい、私は「推しくん浴衣似合いますね!」って言ったんだから私のことも褒めろや!返せや!社交辞令大事に!!
悲しみと怒りを胸に撮影を終え、座席に戻ってふと周りを見渡す。若くて可愛い子たちばかりだ。華やかな色の浴衣がよく似合っている。まとめた髪に刺した花の飾りもかわいい。ちゃんと「女の子」だ。
私は唐突に恥ずかしくなって、急いで荷物をまとめ、外に出た。トイレに入り勢いよく帯を解いて、普段着に着替えた。色味の少ない、暗い服。私にはそういうものがお似合いだし、着ている私も安心した。私なんかがおしゃれしようとしたのが、そもそもの間違いだったのだ。
悔しくて、虚しくて、涙が溢れた。


夜の部からやってきた友達は、浴衣やドレスではなかったが、とてもかわいらしい装いだった。小さくて、ふわふわで、私がなりたかった「女の子」を具現化したような友達。
ついてきてくれたお礼に、チェキを数枚おごった。私の推しと友達が、楽しそうにチェキを撮っている様を、少し離れた位置から眺めていた。推しと友達は、身長差もしっかりあってかわいかった。2人が時折、こちらをちらっと見て、笑っていた。何を話しているのかはよく聞こえなかったが、推しは楽しそうだった。見てて、羨ましかった。恨めしくもなった。
そんなことを考えてしまった自分が一番許せなくて、つらくて、私は俯いた。


ブランドバッグや電化製品、友達や彼氏だってレンタル出来ちゃう時代である。「自分のなりたい顔」をレンタル出来るシステムは、いつになったら現れるのだろう。
マスクをつけるみたいに、その日、その時だけでもかわいくなれたらいいのに。そうしたら、こんな惨めな思いをしなくて済むし、笑顔で推しに会いに行けるのに。

続・降りる降りる詐欺

好きだった。というか、今でも好きだ。

お腹を下し続けて2キロ痩せたし、眠れなかったし、寝たとしても悪夢ばっかり見たし、肌荒れもひどかった。
「絶対絶対、もう推しのことなんて見ない。他メンの色振る」
と思っていたのに、結局推しの担当カラー振ってて、
「絶対絶対、もう推しに貢がない。手紙も書かない」
って思っていたのに、似合いそうだなと買ってしまったものをプレボに入れていた。
姿を見れば、声を聞けば、やはり「好きだな」と思ってしまった。
それまでの怒りやら悲しみ、妬み嫉み恨みが、バケツの水でザブンと流されていくみたいに、自分の中にあったわだかまりを雑に洗い流して、奥底にしまっていた好意をまた、引きずり出される。
その一連の流れを数回経験した。私はハイパーネガティブクソ野郎なので、一度だけでも死にそうになっていた。数回されたのだから、もう死んでる。気付いたら死んでた。生きる屍。ゾンビ。


多分、推しは何も考えていない。
私がこんなに病んで、泣いて、それでも現場に通っていることを知らないし、知る気もないし、知りたくもないだろう。そして知るべきことでもない。一オタクの機嫌の良し悪しなど気にしなくてよい。
だけど、オタクや偉い人の機嫌をとっておいた方がいいときもあると思う。
「推しくんは気が利かないだけなんだよ」
と、友達に慰められ、笑ってしまったし納得した。気、利かないよな。もっとおべっか使って、ゴマ擦って、上っ面だけでも媚びへつらえば生きやすいだろうに。営業が出来ないタイプだ。
でもそういうところも「いいな」と思っていた。不器用で、真面目で、気が利かない推しが好きだ。あー馬鹿馬鹿しい。


うんざりだ。
自分の買い物より推しに似合いそうなものをいつも探していて、推しに会いたいからがむしゃらに仕事して稼いで、推しに嫌われたくないから身なりにも気遣って(当社比)…この1年の「私」という存在や行動理由には、常に「推し」という要因が付随していた。
SNSを見るたび「この服同担から貰ったのかな」とヤキモキして「あ、この前あげたやつ。使ってくれたんだ」と有頂天になって、同担のリプに気が狂いそうになって、感性の合わない舞台に通って、推し名義でチケ買って花出して個ブロ積んで……
そういうの全て、もううんざりだ。でも全部、私の自己満足でやっていたことだし、今更放棄できない。私は何を支えに毎日生きていけばいいのか。


入りが2.5舞台だった私が偉そうな口を叩ける立場じゃないが、2.5以外の現場にも全部通った。推しの演技や人間性を見たかった。できるだけ長い間、推しが板の上に立っていられるよう願って応援していた。
それでも「私」はだめらしい。
2.5しか行かないで、キャラクターと推し自身を重ね合わせて叫ぶオタクの方を選んだ。誰でもいいからファンサしてもらいたいような人間たちを選んだ。理由はわからないけど、私は、だめだった。
視線が交錯しない位置で推しを眺めている方が安心した。ホッとするようになっていた。


つらつらとそれっぽい理由を並べてみたけど、結局私は推しに感謝されたかったし、優遇されたかったのだと思う。醜いオタクだ。まぁ、考えるくらいはいいだろ。本人には伝えないままだ。今後伝えるつもりもない。
「いつもありがとう」って、一言貰えたら救われたのに。「好き」って言ったら「俺も」って返すくらいの営業してほしかった。私と同じくらい好きでいてほしかったし、大切にされたかったな。


多分降りないんだろうけど(降りないんかい)区切りはついた感じがした。もう涙も出なかった。会場を出て、駅まで歩いてる間「かっこよかった」って友達に話せた。いつもの愚痴は出てこなかった。「今なら大丈夫だな」と思った。何が大丈夫なのか自分でもよくわからないが。
降りないけど、血眼で応援することはもうない気がする。全通もしないし、手紙もプレゼントも毎回渡さない。リアコをやめられるかはわからない。だってまだこんなにも好きだし。
でもまぁ、1年間走ってきた「私」の終焉はここだと思う。ポエミーなブログを書いてしまったが、追悼のようなものなので許してほしい。


じゃあ、さようなら「私」。

降りる降りる詐欺

「1年経つよ大好きだよヤッフー!!!」と騒いだ舌の根も乾かぬうちに病んでおります。

思い返せばこういうことは一度や二度とではない。冬に、めちゃくちゃ病んで「もう無理だ死のう」レベルまで落ちたときがあったけど、そのときと同じ。
推しが、こちらを全く見ない。


嫌われてるのかもしれない

いわゆるファンサ舞台に推しが出たら、そりゃ多少なりとも反応欲しくないですが?期待しちゃいませんか?
正直私はめちゃくちゃ欲しい。私には卑しい貧民の血が流れているので何かを貰えることに大層な喜びを感じる。
でも貰えないんです。貰えないどころか私のことを見やしない。

推しの担当カラーを灯し、うちわで「おまえのファンだぜ!!」って主張してるのをスルーっておかしくない?おかしいよ。私がイケメンならファン全員を熱くクレバーに抱き締めてやるのに。
別に「頭撫でろ」とか「投げキッスしろ」とか望んでるんじゃないんです。
ただ、微笑みかけてくれるだけでいい。見てくれるだけでいい。
視線だけでいいって言ってんだよ。もうファンサでもなんでもねぇよ視力検査じゃねぇか。右!左!下!右斜め上!わかりません!!!!!

後方席だったら「仕方ない」と思います。そこまで見えてたらマサイの戦士。
しかし通路席や前方席で、明らかに視界に入る距離にいるのに、私は見て貰えません。わりと良席でわくわくしていたのに、推しはちらりとも見てくれなかった。
舞台は「見てもらうもの」じゃなくて「観るもの」です。わかってます。推しのお芝居、とてもよかったです。ストーリーも演出も音楽も、全てよかった。
それだけに、余計悲しかった。一生懸命作ったうちわ、一瞬でも見て欲しかったなぁ。「あなたの事を好きな人間がいるよ」って伝えたかったです。どっちも自己満足だね。

嫌われているのかもしれないし、そもそも好きとか嫌いとかいう以前に「無」なのかもしれない。いや、なんとも思われてなかったら逆に見てもらえるか。
「勘違いかもしれない」と思いました。「拙者オキラでござるか(笑)」と思っていました。
わざわざ私の反対方向を向きながら客席に降りて行ったとき「あ、これわざとだ」と確信しました。
私、推しの立ち位置の目の前に座ってました。他のキャストは見てくれました。推しも、私がいない方向はよく見てました。

推しのツイッターに「見てくれて嬉しかったです!」とリプしてる同担がちらほらいたので、私以外も無視してるというわけではなさそう。
私が何したってんだ。


ポジティブに考えてみよう

「何か」をしようにもろくに話してすらない相手に出来ることは限られています。
プレボに生ゴミ突っ込んだとか、手紙にポエムをしたためたとか、私がそういうことしたってんなら「まぁそれはそう」と思いますよ。
けど、ないんだもの。何もしていないんだもの。
強いて挙げるなら「かっこよかった」とか「好き」と言いながらハイタッチをしたくらいですが、君が好きだと叫びたいファンに殺意抱くなら役者向いてないから辞めた方がいい(そんなこと考えてるから嫌われる)。

というわけで、仮に、仮にだよ?公演中の私の態度に落ち度がないとして、じゃあ何で無視されたんだ?という話ですよ。

ポジティブに考えていきましょう。おたくすぐ病むからね。


・私の顔が不快→それはごめん

・プレのサイズが毎度合ってない→それもごめん

・新規獲得したい→言うて私もまだ新規

・寝違えてた→お大事に

・私の方向に霊的な物がいた→なるほど、だから「塩」対応ってわけね

・照れ臭い→役者やめろ

・同担に目をつけられないように敢えて無視→かえって目立つだろうが

・疲れてた→でしょうね

・無視しても着いてくると思われてる→私はルンバか

・よくわからんけど嫌われた→濃厚


さっぱりわかりません。
本当に本当にわからん。現場全然なかったのだからやらかしようがないし、ポップコーン貪りながらインスタ更新しつつ観劇していたわけでもないんですよ…
もうずっと考えていてノイローゼになりそう。次の現場も憂鬱です。降りた方がいいのかな。

一年経つ

お久しぶりです。
はてブロ復活させてみました。


推しと出会って一年

正確にはまだ一年経ってないんですが、もうすぐ一年ということで色々振り返りたい。


2017年
8月:
遠征先で推しに出会う。一瞬で好きになってしまい、翌日の公演と東京公演のチケットを揃える


9月:初めて推しと話す。震えと笑いが止まらなくて「大丈夫ですか…?」と本気トーンで言われる。まだ敬語だった


10月:初めて接触現場に行く。初っ端から恥ずかしくてチェキ芸人と化す。「ほんとにこのポーズでいいの?」と心配される。突然タメ語になった


11月:現場にプレゼントを持っていくの忘れたので事務所に送ったけど使っているそぶりがまるでないので多分捨てられた
ここらへんから「リアコなのかも」と思い始める。確か11〜12月にツイッターのリアコ垢を作ったんだと思う


12月:2度目の接触。勇気を出してリアコポーズ頼んだら意図が伝わってなかった。背後におちゃらけた推しのいるチェキが出来上がる。このときは「○○ちゃん」と呼ばれた
現場納めと3度目の接触。認知された


2018年
1月:
4度目の接触。もはや何も言わずにネタチェキに付き合ってくれるようになった。ここから名前呼び捨てになる
恐らく上記現場で菌をもらい、肺炎になるが気合で治して別現場。ものもらいにもなってしまい眼帯+マスク装備で行ったので多分私だと気付かれていない


2月:舞台現場。干されてめちゃくちゃ病む。前推しに甘やかされて揺らぐ


3月:引き続き病んでおり「離れようかな…」と思ってたら推しがプレ着用した写真上げてくれて泣く
ちょろいので推しの誕生日プレゼントを買いに行く(誕生日だいぶ先)。包装がクソで笑った


4月:舞台現場。内容が肌に合わなすぎて毎日チベスナ顔で劇場へ通っていた


5月:5度目の接触。特筆すべきことがない
別現場。トイレから帰ってきたら目の前に推しがいた。「どこから来たの!?」と言われ「トイレから…」と返すしかなかった
また別現場。「最近よく会うねぇ」と言われる。前回の現場で渡した手紙の内容に触れられて泣く


6月:接触?現場。突然塩対応されてキレる。
腹が立ったので初期状態の距離感に戻したらご機嫌とられた。「プレゼント今使ってるよ〜ありがとう!」と微笑まれてあっさり回復


7月:(私の)鬼デレ期到来。今のビジュアルが一番好きかもしれない。何しても好き
「今日もかっこよかったです♥︎」などと言ってしまい後から頭を抱える



というわけで怒涛の一年でした。
まさかこんなに生活が変わると思わなかったし、こんなに誰かを好きになると思わなかった。
まぁ干されたり塩だったりで落ち込むことも多かったというか、むしろ落ち込んでた時間の方が長いでは?感は否めない。
それでも飽きっぽい私が一年間一人の俳優を追い続けられたのは推しが魅力的で優しくて素敵な人だからです。

一年経つし、ド新規から新規くらいにはなれるかな!?

推しの顔は好みではないが大好きだ

困ったことに推しがかっこいい。
知っている。だから推しているのだ。


100万回言っているが、別に推しの顔は好みではないし、向こうも私の顔は好みじゃないどころか吐き気を催しているかもしれない。
いつもゲロを堪えてくれてありがとう推し。




私はどちらかと言えば正統派が好きで、世論調査をしたら支持率7割はとれるイケメンが好きだ。


界隈の舞台俳優で一番顔が好きなのはW田氏(クマの方)で、声優ならU原氏が好きだ。
U原氏は性格が云々ブスdisり云々と言われがちだが、圧倒的に顔面(と声)がいいので「まぁ、ブスは嫌いだろうな」と思わせる説得力があり、私の中では逆に好感度が高い。
性格のいいイケメンなんてこの世に存在してたまるか。
ちなみに、女性声優はT松ちゃんとU田姉が好きです。




私の推しは、贔屓目なしで見て支持率5割といったところだろうか。万人ウケする顔ではないように思う。
盲目な状態だと「世界で一番かっこいい!」と興奮するが、「3つ隣のクラスで1番人気あるタイプっぽい」と、氷水をぶっかけられたかのように突然冷めるときもある。


特別顔が小さくもないし、鼻筋がめちゃくちゃ通ってるわけでもない。目の形も輪郭も、別に好みではない。
己の顔面は棚に上げて置き去りにしてきた。




何故、こんなに好きなんだろう。
と、最近よく考える。
やることが山積みで現実逃避したいがために、このような分析を始めてしまう。


挙げるとすれば「会ってないから」だ。
最後に推しの姿を肉眼で見たのは3月の頭である。もう2ヶ月近く見ていない。
会いたくて会いたくて震えているのかと思いきや、血糖値が下がっているだけだったのできちんとご飯を食べようと思った。


そりゃあ現場があるなら喜んで行くが、推しに仕事がないのでどうしようもない。
その件に関しては推しもきっと気にしてい………ないだろう。多分。
まぁ、あえて「もっと現場くれよ!」と言うことでもないし、推しに伝えたところでそれは彼の一存ではどうにもならないことなので心の中にしまっておく。


会えないなら、どうするか。
答えは簡単だ。妄想で補うしかない。
頭の中の推しは現実の3割増しくらいでかっこよく補正されているし、私の都合よく解釈されているので「好き」という気持ちが膨らむのも頷ける。
偶像崇拝が禁止されるのってきっと私みたいな愚か者がいるからだろうなと思う。




推しはSNSを多用しないタイプの俳優だ。
たまに上がったと思ったら俳優仲間にクソリプしていた。いい加減にしてほしい。
だから共演者・劇団のブログやツイッターを見るしか生存確認の方法がない。


先日、主宰が上げてくれた動画を見た。推しは、何だか楽しそうだった。
新興宗教か?」と思うようなパフォーマンスだったが、楽しそうだからよかった。元気に生きてるならそれでいい。




恐らくだが、推しは他人と距離を詰めるのに時間がかかる人なのだと思う。
だから新しい現場の話はあまりしない。慣れた仲間と作る現場のときはよく浮上する。
きっと、共演者との写真を上げたくても「撮りましょう」って声掛けられないんだろうなぁ、などと考えて勝手に切なくなる。
おたくは考察という名の邪推が大好きだ。


そんな推しが楽しそうに稽古に励んでいる様は、胸にグッとくる。
私も極度の人見知りなので「はい!今から輪になって踊ります!」とか言われたら白目でマイムマイムする。
「楽しい」なんて感情は微塵も感じないだろうし、表情にも出せないだろう。
だからこそ、楽しそうにしている推しを見ると込み上げるものがある。


前置きが長くなった。
私は推しに自己投影して「好き」と思っている節がある、ということだ。
性格的に少し似ているな…と、リアコ特有の思い込みを発動し、勝手に共感している。
私には出来ないこと、出来そうにもないことを乗り越えて笑っている推し、かっこいいじゃないか。好きだ。現ナマを差し入れたい。




などと高尚ぶってみたが、結局推しの一番好きなところは「身体つき」なので、動画を食い入るように見た。
脚がいい。指もいい。首も肩も腕も腰も最高だ。各パーツのバランスがなんとも言えない絶妙さで成り立っている。好きだ。現ナマを差し入れたい。


あと動画内で私が贈った稽古着を着てくれていた。正直に言うと、優越感に浸れた。
推しのSNSで見かけるよりずっと嬉しい。
以前も着用している姿を見たことがあるが、知らないところで着てくれたり、使ってくれるのは特別嬉しいのだ。仕方なく着てくれたのではないと思えるから。
次回も喜んで貢ごう。稽古着だろうがなんだろうがプレボにぶちこむからAmazonの欲しいものリストを公開してほしい。




この程度で加速してしまう「好き」とは何なのだろう。
私の「好き」は承認欲求の塊で出来ているのではないか?と不安になるときもある。
が、そもそも好意の根底にあるものは承認欲求だと思うので開き直っておく。
そうでーす!私は私という存在がこの世にあること・あってもいいことを実感したくて推しに貢いで喜んでもらおうとしてまーす!!(勿論それだけじゃないけど)




あぁ、早く会いたい。
推しをこの目で見たい。ドライアイになるくらい見つめていたい。
妄想ではなく、現実で「好きだ」と確信したい。早く、会いたい。

推しの誕生日プレゼントを買ったらラッピングがダサかった③

ただ包むだけの話をどこまで引き延ばす気なのか。今回で終わらせます。
そういや前回「リボン300円くらい」って言ったけど180円でした。見栄張っちゃった。


再びハンズで買ってきた資材がこちら



左から
・ラッピングキット(560円)
・シールで貼れる飾りリボン(180円)
・なんかキラキラしたリボン(1m 100円)
・手芸用カラーゴム(100円)
以上である。



ラッピングキットはこんな感じで商品を包める。材質は不織布?薄紙?色は3色あった。
正直これで560円なら自分の好きなペーパーとリボンをメーター買いした方がいいと思ったが、配色とかいろいろ考えるのは面倒だし己のセンスに自信がない。キットになってるなら間違いないので、これを選んで正解だった。



この針金で紙をまとめるのだが、これがなんか許せなかった。パンの袋をとめるやつみたいで嫌だ。
あとヒラヒラした紙テープ(ハサミでしごくとクルクルになるらしい)も安っちい気がして切った。



代わりに手芸用のカラーゴムを使うことにした。
ハンズのお姉さんが「針金でとめるの難しかったら先に輪ゴムでまとめておいて、後からその輪ゴムを切ってくださいね〜」と言っていたので、ゴムの方が便利だと思ったのだ。
後で悟るのだが、別に針金のままでもよかった。謎のこだわりを発揮してしまったせいで余計大変だった。
で、ゴムだと見栄え悪いなーと思い、キラキラしたリボンを上から巻こうとしていたのだ。結果的に使わなかった。
無駄な買い出しを何度繰り返すのだろう……キラキラというかギラギラしてるリボンなので、この先も使い道なさそう。





で、まぁサイズを調整するために10センチくらい紙を切ったりしたのだが、そこらへんの写真を撮ってなかったので突然包まれた写真で失敬。



セロテープが丸見えだし部屋が汚い。



サイドを織り込むのが物凄く難しい。
中の箱をプチプチ(緩衝材)でくるんでしまったので、どうしても膨らんでしまう。ピシッとした折り目もつけづらい。
ぐちゃぐちゃっとまとめてしまってもそれはそれで味のあるラッピングになりそうだが、私は変なところが几帳面なのだ。折り目をしっかりつけた上で紙をまとめたい。
仕方ないのでマスキングテープで横を止め、作業を続けた。マスキングテープに紙を持っていかれたら恐いので、指でペタペタ触り、少し粘着力を落としてから貼った。そのおかげで数回剥がれた。加減が難しい。


左右の紙端を中央に寄せ、トップでまとめる……のだが、なかなかうまい具合にいかない。
くしゅくしゅっとしたこなれ感が出ないのだ。ヘアーアレンジもそうだが「ラフ」と「雑」の境界線はどこにあるのだろう。
何度も何度も紙をくしゃくしゃにし、まとめ上げを繰り返していた。
そうしたら磨耗していた。「あと1回くしゃくしゃしたら穴開くぞ」というレベルで磨耗していた。ただの包装紙より頑丈そうに見えるが、擦れには弱いらしい。


既にどうでもよくなりつつあった私は、適当に紙をまとめ上げた。
最初は熱心に取り組むが、最終的に飽きてクオリティが下がる、というのが私のパターンだ。あの姉にしてこの私あり。
ハンズのお姉さんの助言通り、最初に輪ゴムでまとめて、その上からカラーゴムを巻きつけることにした。後から輪ゴムは切って処理する。
しかし輪ゴム氏、ぶっちゃけ邪魔である。輪ゴム切ったらリボンごと切ってしまいそうだ。
お姉さん、すみません。輪ゴム、使いませんでした。


カラーゴムを隠すためのギラギラリボンも、かなり邪魔だった。そんなに色々なもの巻きつける隙間がなかった。開封する側も面倒そうだ。
そういうわけで、結局カラーゴムで縛るだけで終了した。
キットに含まれている紺と白のリボンだけでは味気ないので、真ん中に飾りリボンを貼り付け、なんとなく豪華に見せようと頑張った。


で、出来たのがこちら



どうだ。見事なもたつきっぷりだろう。


プチプチのせいでやはり膨らんでしまう。
不恰好だが破損のリスクを考えるとやむを得ない。



裏。セロテープもカラーゴムも丸見えです。




【結論】
プレゼントはラッピングのセンスがいい店で買え


いや、私だって最初はル●ネに入っているおしゃれなお店で買おうと思っていたのだ。
しかし●ミネの店舗では取り扱いがなく、メーカーから取り寄せだと言われた。「絶対買うなら取り寄せます」と。
まぁ、そりゃそうだ。取り寄せて「買わない」と言われても店舗に並べるわけにいかないし。
しかし私は現物を見比べたかったのだ。何色か展開している商品なので、現物を見て購入するカラーを決めようと思っていた。
だから、ルミ●のおしゃれショップで買うのを諦めた。
ショッパーやギフトボックスのデザインも含めてブランド・ショップの「センス」なんだな…
きれいに包んでくれるお店はやはりセンスがいいと思う。






不器用+飽き性のせいでかなり歪だが、最初よりはマシだと思いたい。
ラッピングはともかく、中身は気に入ってもらえたらいいな。

おしまい

推しの誕生日プレゼントを買ったらラッピングがダサかった②

前回の続き。
東急ハンズで資材を買ってきた。写真を撮り忘れたが、300円くらいの包装紙と、同じく300円くらいのシールで貼り付けるリボンだ。

包装部にて包み方を調べ、なんとなくわかった気になった。善は急げだ。私は実家へ向かった。
故実家に行くかというと、私の家は汚部屋なので作業出来るスペースがめちゃくちゃ少ないからだ。包装紙を広げる場所すらない。




コスプレイヤー時代から実家で様々な作業をしていたので、母からは「また何かやってる」みたいな目で見られた。父は「何してるのか聞きたいけどなんとなく聞いちゃいけないんだろうな」みたいな雰囲気だった。そこまではいい。問題は姉の襲来だ。
仕事から帰ってくるなり姉は「うわっ何してんの?きもっ」と私を見て言う。まだ「何してる」と答えてないのに「きもっ」である。姉はパリピなので、私とは対極の位置にいる人種だ。


私「いや、推しにあげるプレゼントのラッピングがダサいから自分で包みなおそうかなって…」
姉「ふ〜ん。で、包み方わかんの?」
私「わからないから調べながらやってる。いま新聞紙で練習中」
姉「おまえwww折り紙も折れないくせにwww出来ると思ってんのwww」
私「せやな……」
姉「デパート包みでしょ?そんなん見なくても出来るし。ちょっと貸してみな」


こうなるともう私には拒否権がないので、渋々プレゼントの箱と包装紙を姉へ渡した。
姉は昔、某コーヒーチェーン店で働いていて、ギフトラッピングも多々請け負っていた。だからデパート包みくらいチョチョイのチョイだ(と、自分で言ってた)。
そしてプレゼントの中身を見るなり「は!?これいくら!?」と叫ぶ。やめろ。先日の父親の誕生日には900円のネックストラップしかあげなかったんだから値段の話をここでするな。
「さ、さんぜんえんくらいかな〜」とはぐらかしたが、家族全員「そんなわけあるか」と思っていただろう。


姉はしばらく包装紙と格闘していた。
「紙が分厚いから包みにくい」だの「この箱の形やりづらい」だの、散々言いながら包装紙を折ってはやり直し、折ってはやり直し……もはや包装紙も折り目だらけである。これならクソダサラッピングの方がよかったのでは?と後悔し始めた頃、姉が口を開いた。

「キャラメル包みでよくない?」

おまえ!!!おまえおまえおまえ!!!!
デパート包みくらいチョチョイのチョイじゃないんか!!!!???なーにが「見なくても出来る」だ!!!!!!
ブチギレそうだったが、末っ子に人権はないし、選択肢は「いいよ」しか存在しない。


結局、我らはキャラメル包みで妥協した。
「デパート包み」と「キャラメル包み」の違いを説明するのは面倒なので各自調べて下さい。ソシャゲで例えると「デパート包み」が☆5で「キャラメル包み」は☆3です。
しかし、姉はキャラメル包みすら危うかった。「何故そこに…?」という部分にセロテープを貼るし、ピシッと折り目をつけないので全体的に隙間が出来ていた。
「ここはこうして折った方がいいんじゃないかな〜」などと姉の機嫌を伺いながら私は折り目をつけた。姉はハートの女王より傍若無人なのだ。


最後、リボンを貼り付けようと思ったが「巻いた方がいいよ。セロテープも隠せるし」と姉が言うので従った。もはや私は思考を放棄していた。某ビッカメで付けてもらった赤いリボンを再利用し、箱に巻きつける。
そして出来上がったのがこちら。





おかしい。絶対におかしい。
片方のリボンだけ長いのは何故なのか。
姉曰く「その方がおしゃれ」だそうだが絶対に嘘だ。「適当に結んだら片方長くなっちゃったけどまぁいいか」的な本音が見える…見えるぞ……



おかしい…おかしいな……
「リボンを巻いた方がセロテープを隠せる」はずなのに三方向全部セロテープ丸見えなんだよな……




いつもそうだ。姉は「やる」と言う割に最後まで貫かない。お菓子や料理を作りたがるくせに後片付けはしない。今回のラッピングも最後の方あからさまに飽きていた。
まぁ約30年くらい一緒にいるのに全く学習しない私も私だ。「綺麗に包めたなぁ(棒)」と言って、私はビッカメのビニール袋へプレゼントをそっと戻した。
もう一度ハンズへ資材を買いに行くことを決意し、同時に「姉に見せない・任せない・期待しない」と心に誓った。


続きます。