ボログ

若手俳優を追いかけて暮らしている

友達の話

何度も言ってるけど、私は友達が少ない。卑屈で社交性のないブスなので仕方ない。
しかし、そんな引きこもり卑屈ブスとでも仲良くしてくれる仏のような友人が何人かいる。私は彼女たちのことが大好きだ。
今日はその友達のひとりの話をする。




彼女(以下Aちゃん)は私より2つ歳上だが、色白で背が小さく、いつも可愛らしい格好をしているので、だいたい私の方が歳上に見られる。灰皿は私がいる方に置かれるし、ビールジョッキも私の前に置かれる。Aちゃんは喫煙者で大酒飲みだ。
私と同じでオタクだけど、バンギャだったし声優の追っかけもしていた。レイヤーで服を作れるし、絵も小説もかく。美大卒でセンスがいい。声楽をやっていたので歌もうまい。卒倒しそうなくらいハイスペックなオタクなのだ。
「何でも出来るよね」と私が言うと「器用貧乏なの」とAちゃんは笑う。「何でも出来る」を否定しないところがいい。

Aちゃんはなりたかった職業に就けず、地元に帰ってSEのようなことをしていた。良く言えば保守的な、悪く言うと前時代的思考の会社だったので、相当苦労していたようだ。
バリバリ仕事が出来ても女性は軽視され、絶対に昇進させない。上司はセクハラ・パワハラまがいの言動、非常勤のオッサンは席で居眠りをしているだけなのにAちゃんより高い給与を貰っていた。
結局Aちゃんは疲れきって、仕事を辞めた。
「小さいから舐められるんだよね。みんな『コイツは服従させられる』と思ってる」
Aちゃんは言う。「そっかー」と、私は返した。
私は顔立ちがキツい上に体格がいいので、Aちゃんの苦労がわからない。小さいことはいいことだし、背の低い子は可愛がられて羨ましいとすら思っている。猛獣より小動物の方が人気があるのと一緒だ。
「大きいと何もしてないのに恐いとか生意気って思われるよ」
と、私が言うと「そうなんだー」とAちゃんは返した。




私はAちゃんのことが大好きだが、何でもかんでも趣味が合うわけじゃない。というか、真逆のことばかりだ。体格も、服の趣味も、好きになる異性のタイプも全然似てない。考え方も同じようで、根本は異なっていると思う。
だけど私はAちゃんのことが大好きだ(2回目)。

先日、とある俳優が燃えかかったときの話をした。どちらかと言えば、私は彼の擁護派だった。Aちゃんもそれは同じ。
「本筋以外のところで観客が沸き立つような行為は控えるべきだ」という、彼の役者としての考えはわりと好きだ。
人気役が舞台の端っこで何かしたら客はそっちに注目するし色めき立つ。そうすると、台本通り一生懸命に演じてる役者たちの演技が霞んでしまうから、あの手のアドリブはあまり好きではない。
で、私は2.5舞台特有の観客層についても言及した。
「役者の問題でもあるけど、客のモラルがないかと思うんだよね。2.5の客って、必要以上に騒ぐじゃん」
私が話すと、Aちゃんは渋い顔をした。
「本筋に集中させるお芝居が出来ない俳優の力量も問題だよ」
バッサリ、と音がしたようだった。「あ、確かに」と、私は真顔で答えた。
繰り返すが、Aちゃんは某俳優を否定してない。でも、彼の「役者論」には同意出来ないらしい。なるほど、その考えはなかった。
私はキモヲタの自覚があるので、同じ穴のムジナである2.5舞台観客を嫌悪しがちで、よっぽど常識外れじゃない限り若手俳優はいいものだと思っていた。
Aちゃんの考えは私と似ているようで、やはり少しズレている。




Aちゃんとは討論のようなものをよくする。お互い「語りたがり」な部分があるのだ。
「討論」は「相手をねじ伏せたい」という意識が根底にある人とはうまくいかない。Aちゃんにはその気がないので、話しててもうまくいく。
正論なんて時代やコミュニティに寄るもので、絶対的に正しい答えは存在しないと私は思っている。100パーセント賛同出来る思想があったらちょっと怖い。自分は洗脳されているのでは?と感じてしまう。
だから色々な考え方があって然るべきだし、凝り固まった己の主義主張を見直すためにも「討論」は必要なのだと思う。

しかし、中には「私と同じ考えじゃない奴は全員死ね」みたいな人間もいる。
別にそれはそれでいいし、意見の合う人間たちと徒党を組んで生きていけばいい。
私も自論を否定されたらちょっとムッとするけど、死ねとは思わない。熱々のおでんで舌を火傷しろ程度の感情は抱く。双方の精神衛生のため、その後の人生で出来る限り邂逅しないよう努力したい。
厄介なのは「思想の否定」=「人格の否定」だと思い込み、烈火のごとく怒り狂うタイプの人間だ。
親の仇か?というくらい相手(別の思想を持つ人)を叩きのめすし、相手を全否定する。「私が間違ってました」と言うまで許さない。「ふーん。そうなんだ」で済ますことが出来ないのだ。

私とAちゃんの共通の友人(以下Bちゃん)も、そういうタイプだった。
私が何気なくつぶやいた話が、Bちゃんを猛烈に怒らせてしまったようだ。繋がっていたTwitterのアカウントをおおよそブロックされた。
当時Bちゃんが好きな作品のライブチケットを私が当てていたからか、1アカウントだけフォローを外されてなかったのが笑えた(私もBちゃんも複垢持ちだ)。発券番号の連絡をするまでは完全に関係を断ちたくなかったらしい。
今だから「笑えた」などと言えるが、当時の私は相当ショックを受けた。
Bちゃんを中心とした仲間うちで固まっていたので、Bちゃんに嫌われることはすなわち交友関係のほとんどが潰される、ということだった。
友達の1人や2人減ったところでどうってことないように思うが、私は友達が少ないのでその1人や2人がいなくなるのは死活問題なのだ。一人は好きだが、独りが辛いときもある。
勤めていた会社を辞め、元々弱っていたところにその件が重なってしまい、私はますます精神を病んだ。毎日泣き続け、外出できなくなり、最終的にほぼ寝たきりの生活になった。何も楽しいと思えなくなっていた。

そんなときに連絡をくれたのがAちゃんだった。私とBちゃん、それぞれの空リプで事を察したらしい。
「どっちも大事だから悲しいけど、無理してお付き合いすることないんだよね」
と、Aちゃんは泣いてくれた。私の肩も、Bちゃんの肩も持たず、双方の主張を認めてくれた。「派閥」社会でなければ友情は維持出来ないと思い込んでいた私には目から鱗だった。思春期の女子かよ。
「そうやって間に立たせるのは負担になるのではないか?」
私が尋ねれば「全然!」とAちゃんは笑った。

Aちゃんがいなかったら、多分私はまだ布団にくるまって動けずにいたと思う。
前に書いた推しの存在も大きいけれど、最初に外へ連れ出してくれたのはAちゃんだ。
Aちゃんの大学時代の友達に会わせてくれて、新たな人脈を広げてもらった。リハビリがてらの撮影に誘ってくれたのもAちゃんだったし、一緒に本を出そうと言ってくれたのもAちゃんだった。褒めてくれるのも励ましてくれるのもAちゃんだし、諌めてくれるのもAちゃんだった。
私の持病のことも理解してくれているので、Aちゃんと遊ぶのは気が楽だ。
Aちゃんは私とよく遊んでくれるが、Bちゃんとも変わらず交流がある。時々Bちゃんに私の話をして微妙な顔をさせるそうだ。Bちゃんはまた私と仲良くしたいというようなことを言うらしい。
「絶対嫌だ」と言えば「だろうねぇ」とAちゃんは返してくれる。曖昧な返事だ。




一緒に遊びに行った帰りの電車で「親友とは何か」という話をAちゃんとした。
「仲のいい友達」と「親友」の線引きとは何か、友達が多い人の「友達」はどの程度までを指すのか、「私たちって親友だよね!」みたいな確認をすべきなのか、とか。
「この歳になったら、いくら仲のいい友達が出来ても『親友』ってならないよね」
「なんか恥ずかしいよね」
などと笑いながら話していた。
「結婚みたいに、役所に書類を出すならわかりやすいのにね。親友届、みたいな」
と、Aちゃんが言い出す。やっぱり私にはその発想はなかったので、なるほどなぁと感心していた。
が、これだけで終わらない。
「そうだったら喜んで出しに行くくらい、私はボーロちゃんのこと大好きだし、仲良しだと思ってるよ」
口説き文句か?というような台詞をAちゃんは吐いた。

他人から「大好き」と言われるのも「仲良し」と言われるのも皆無な人生なので、私は目玉が飛び出そうになった。喉を掻きむしりたいような、裸足で疾走したいような気持ちだ。
これがAちゃんじゃなかったら社交辞令だと思っていただろう。
大好きな人に「大好き」と思ってもらえるのは、こんなにも満たされるのか。

目頭が熱くなり「私も」と返すので精一杯だったけど、Aちゃんが友達でよかったと心底思った。そんな、友達の話でした。