ボログ

若手俳優を追いかけて暮らしている

承認欲求について考えてみる

大なり小なり、だいたいの人間が「承認欲求」を抱えていると思う。そして「おたくという生き物はその欲求が顕著だな」とも思う。
かく言う私もそのタイプの面倒臭いおたくな自覚がある。


私は若手俳優の推しにリアコなわけだが、例えば推しが別の人ならどうだっただろう。
庭球舞台とか刀舞台とか排球舞台とか、そこらへんに出ている(おたく界において)人気も知名度も高い俳優を好きになっていたら、私はその人相手にリアコになっていただろうか。
若手俳優といっても人気のある役者にはファンがたくさんついている。きっと認知もされなければプレゼントだって使ってもらえない。「私」という存在が数多くのファンに埋もれていく。

もっと話を飛躍させてみよう。
例えば私が竹野内豊氏のおたくだったとして、リアコになっていただろうか。ビーチボーイズに出る前より彼のことを知っていて、ドラマも映画もCMも雑誌も絶対チェックして、生身の彼を拝める機会があったら全国どこでも飛んで行き、定期的に事務所へファンレターを送る。デビューから何年経っても、竹野内豊氏に本気で恋出来るだろうか。無理。絶対出来ない。私にはその根性がない。

要するに私は「ファンがそこまで多くないので認知され、そこそこ接触の機会がある推し」だからリアコになったのでは?と考えたのだ。一般人より容姿が整っているけどぎりぎり手の届く範囲にいて「私」という個を認識してくれる彼だから好きになったのではないか、と。
自分で書いてて最低だなと思ってきた。どうも最低野郎です。
リアコおたくの皆、ぶっちゃけどう?ハイパーメジャーアイドルが推しだけど何年もリアコしてます!って人も当然いるだろう。煽りとかじゃなくてマジですごい。けど、私みたいな理由でリアコやってるおたくも多いのではないだろうか。


これは三次元ないし2.5次元おたくに限った話ではなく、二次元おたくにもあることだと思う。
古の同人サイトにはアクセス数を集計するカウンターが絶対設置してあったし、管理人が「100000万打ありがとうございます!」とおえかきBBSで跡部景吾のイラストと共に感謝を述べたりしたものだ。
今思えば個人サイトのアクセス数などどうでもいい。どうでもいいが、やはり他人と比べてしまうのが人間の性というもので、もっとも明快な「数字」という方法で承認欲求を満たしていた人もいたと思う。
現代においてはpixivのブクマ数やランキング、Twitterのフォロワー数やいいねの数でマウントがとれる。媒体が変わってもやってることは一昔前と変わらない。数字って便利だ。
「他者と比べずに自分の描きたいものを〜」なんて綺麗事をよく耳にするが、そんな純粋な気持ちで創作してる奴だけだったら「壁サー」だとか「お誕生日席」なんて用語は生まれねぇだろ!!!!??(※純粋に創作活動を楽しんでる方もいます)

マイルドに言えばレアな、ストレートに言えば斜陽ジャンルにいたことがあったが、その中で大手の絵描きがいた。めちゃくちゃもてはやされたいたし、もはや神として扱われていた。
が、ある日突然神は姿を消した。流行りのアニメにハマり、活動ジャンルが変わったのだ。神は斜陽ジャンルの絵を描かなくなり、流行りアニメの人気CPの絵ばかり描くようになった。
そうしたら、神の絵にふぁぼがつかなくなった。3桁は絶対いっていたブックマーク数が、20そこそこで留まっていた。流行りジャンルには、絵も話の構成もうまい絵描きがわらわら集っていた。
結局、神は斜陽ジャンルに戻ってきた。「やっぱここが私のホームだわ」と言っていた。物は言いようである。


しかしまぁ「承認欲求は悪だ!」みたいな風潮が広まるのもどうかと思う。誰かに好かれたいし、認められたいし、褒められたい。いいじゃないか。人間みんなそうだろう?
ただ、悲しいことに人間は平等に才能を振り分けられているわけではない。「羨ましいならお前もやってみればいいだろう?」と言われても「出来るならハナからやっとるわ」でしかない。
容姿にしたってそうだ。私が国家予算並みの大金を注ぎ込んで全身整形したところで橋本環奈様には勝てない。染み付いたブスの僻み根性は整形出来ないからだ。「かわいいね」「綺麗だね」と周囲から褒め称えられ愛されて育った人間と、生まれた瞬間から「ふやけた猿みたいな顔」と笑われた人間とでは天と地ほど自己肯定感の差がある。お前ふやけた猿見たことあるんか?
愛されてる人ってかわいい。羨ましい。橋本環奈様レベルなら満場一致で「かわいい」「ブラボー」とスタンディングオベーションされるだろうからいい。問題は、中の中か、あるいはそれ以下の才能や容姿のわりにやたらと自信満々に生きてる人間だ。
いや、そういう風に生きられるのが一番幸せだし、きっと長生きするんだろうなと思う。けど多くの人間は、自分が中の中程度だと自覚した時点で諦めやら謙遜やらを取得する。
それなのになんだお前は。下の下の下のくせに何故そんなに自信満々なんだ。お前もこちら側の人間だろうが。あと謙遜に見せかけて自分大好きマン、貴様だ貴様。「ブス注意!」と言いながらsnowで盛った自撮りをあげるんじゃねぇぞ本当に自分をブスだと思ってんならお前は出てくるな飼い犬(ポメラニアン)の写真だけ上げてろ。
などという反感を買い、アンチを生み出し、叩きが始まる…というと、なんだかアンチ側が悪いみたいだが、それはその時々による話である。息を吸うように自慢したり、批判されるような言動をする人間というのはわりとよくいるし。


とまぁ、そんな場面に出くわすことがしょっちゅうあるので「おたくの承認欲求はすごい」と思うわけだが、実際のところ所謂一般人でも承認欲求は強いのだと思う。じゃなきゃいちいちインスタで彼ぴや旦那くんの写真を上げたりしないだろうし、ウユニ湖へ旅立ったりもしないだろう。「すごい」「羨ましい」と思われたい。そうやって認められることで「自分」というものを確立したい。
私の場合、それが「推し」なのだと思う。いやもうほんと、最低だ。だけど、好きになっちゃったんだからしょうがないよね〜(鼻ホジ)本人や他のファンに迷惑かけなきゃそれでいいじゃないか。「この恋は実らない」とわかってるからいいんだ。私は推しに会いに行って、推しが私を見つけてくれて、その対価にお金を払っている。その、承認欲求を埋めてくれる喜びのために追いかけている(もちろん、彼のことが心底好きだし、応援したいという気持ちもある)。

自分の欲、満たしていこうな。