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若手俳優を追いかけて暮らしている

説明っぽいやつ

このブログ

 Twitterのお題箱宛によく頂く質問をまとめたり、推しを追いかけていて日々思うことなどをだらだら綴っていければいいな

 

わたし

 若手俳優を推してるアラサー。高校〜社会人2年目くらいまでテニミュ三昧。その後は贔屓の俳優を持たず時たま2.5舞台を観ていた。このまま観劇趣味卒業かと思っていた矢先に推しに出会ってしまった。こんなつもりじゃなかった

 

「繋がり」はゴールなのか

リアコのみんな、推しと繋がりたいか?
もしくは既に繋がっているか?

私に関して言えば、最初の質問は「はい」で、次の質問は「いいえ」だ。


常々疑問に思っているのだが「繋がれるおたく」というのはどのような生活をしているのだろう。

地道に出待ち入り待ちを繰り返すとか?
飲み会に死ぬほど参加する?
その手の人脈があるとか?
自分からではなく推しからコンタクトを求められた?
たぬきに書いてある胡散臭い情報に金を払った?

わからない。
そして「繋がれた」側のおたくは「どうやって繋がれたのですか?」という、鼻息を荒くして必死なおたくに対して、だいたい同じようなことを言う。

「え、知りませんwwww」
「テキトーwwww」
「気付いてたらそうなってたwwww」


そ ん な わ け な か ろ う


なんだその、クラス内カースト上位の者たちだけが知っているような掲示板(時代)やグループLINEの存在をひけらかしつつ「お前には絶対教えねーよwwww」みたいな嘲笑い方は。
スクールカースト最下位だからおたくになったようなものなのに、おたくの中にもカースト制度があるなんて聞いてねぇぞクソッ


私はあまり酒が飲めない。なので若俳がよく出没しそうな歓楽街を飲み歩く、という方法はとれない(そもそもそんなことしたところで繋がれるほどの若さや美貌がない)。
入り待ち出待ちして嫌われたら…と思うと、劇場⇄自宅を直行直帰だ。
たぬきの怪しげな繋がり情報に金を払えるほど私は裕福でない。

ぶっちゃけると、私には推しと繋がろうと思えば繋がれる「ツテ」があるのだが、そのカードを切ったときに人間関係が壊れる方がこわい。
数少ない友人知人を失うくらいならどんなに遠回りでも他の方法を選ぶ方がマシだ、と思っている。

ここらへんの融通のきかなさ というか、臆病でチャレンジする勇気がないあたりが駄目なのだ。
なにもかも、世間体も友人もかなぐり捨てて、それでも「繋がりたい」と思えないから駄目なんだ、私は。

だけども実際に繋がっているおたくを見ていると(彼女たちが虚言を吐いているのでなければ)そんな清水の舞台から飛び降りるような覚悟もなく、するりと容易に繋がれているようではないか。
私の「覚悟」が駄目なんじゃなくて、私の「容姿」が駄目なんだ。よし、死のう。

こうやって短絡的に「ルックス」を答えにしてしまうあたり、私の容姿コンプレックスがどれほど酷いか伺えるであろう。
ルッキズムを忌み嫌っている私が1番ルッキズムにとらわれているのだ。死のう。


さておき、タイトルにも書いた「繋がりはゴールなのか?」という問いに対して、皆様はどう考えているだろうか。
私はリアコにとっての繋がりは「スタート」だと思っている。
繋がらなければ「好き」と伝えられない。リアコと名乗っているが、私は「恋」にすら辿り着けていない状態だ。
その後、お付き合いして結婚…なんてルートを進めるとは微塵も考えていないが、せめてスタートラインの前でクラウチングの姿勢を取るあたりまでは進みたいじゃないか。
姉と従姉妹がコントローラーを握って楽しそうにマリカーをしていた、その様子を横から見ているだけの幼少の頃の記憶が蘇る。


あーあ、私も推しと繋がって「繋がってもいいことないよwwww私が好きなのは俳優やってる推しであって『素』の推しは好きじゃないってわかっちゃったしwwww」とか言いてぇなぁ!!!!!!

リアコよ、君死にたまふことなかれ

リアコおたくが減った気がする。


いや、きちんと統計をとって比べたわけではないし、私の見ている世界が変わった・私の見ている世界がものすごく狭いだけなのかもしれない。



推しに本気で恋して、もう4年目になる。

この歳で、この見た目で、若手俳優のことを(恋愛的に)好きだなどと当然表に出すことはできず、しかし己の内に日々溜まっていく「好意」や「嫉妬」等々を吐き出さずにはいられなかった。

だからリアコおたくとしてのTwitterアカウントを作った。


アカウントを作ったのは3年ほど前になるが、そのときに「同じリアコとして」繋がったアカウントの半分以上はツイートが途絶えている。アカウントごと消える人もいたし、消える前にわざわざ挨拶しに来てくれた人もいた。

その人たちは、もしかしたら秘密の恋が叶ったのかもしれないけれど、おおよそは現実を見たり、推しに飽きたり、他の誰かに恋をしたり、あるいは結婚したのだろう。知らんけど。



この一年で「リアコおたく」はグッと減ったように思う。

リアコじゃなくとも、いわゆる「ガッツ」と呼ばれていたような本気のおたくたちも少なくなった気がする(ぜんぶ私の体感だな)。


現場数がガクンと落ちたことでみんな正気に戻ったのだろうか。「推しがいなくても案外大丈夫じゃん」みたいな。それは私も思った。


そもそも舞台ってただでさえ馬鹿みたいにチケット代が高いのに座席数を減らして上演、となると一席あたりの値段が更に跳ね上がる。


感染症対策でランダム商品がなくなるかも!」と考えたこともあったが、そんなはずはなく、少しでも儲けようと必死な運営陣はせっせとランダムブロマイドを作った(そして会場では販売せず、おたくたちに通販を利用させた)(送料がかかる上に会場での交換が更に厳しくなった)(クソ)。


公演は配信が当たり前となり、現場至上主義のガッツたちは茶の間を馬鹿にするのも飽き飽き……もはや「茶の間」という存在自体が珍しくもなんともないし、どうでもいいのではないだろうか。

そもそも歴戦の猛者たちだって職業や居住地、家族や自分の基礎疾患のことを考えて現場に行けなくなった、ということもあるだろう。


おたくにとって「モチベ」というものは最重要項目であり、これがあるから気を狂わせて働いたり全通したり、当の推しが喜んでるかどうかもわからずに花やプレゼントを贈っていたのだ。


だが、コロナがおたくたちの「狂気」を「正気」に戻した。

「会えない時間」は「推しのこと」ではなく「今後の生活」について考えさせられた。

私たちはみんな狂っていた。

この丸3年で推しに使った金額を考えると軽自動車くらいなら余裕で買えるし、長年やりたいと思っている歯列矯正だって脂肪吸引だって出来たはずだ。いや正確に使った金額は覚えてないんだけど(使ったそばから忘れている)。


私って、無駄な時間・無駄なお金を推しに費やしていたのだなぁ、と。冷静になるとわかる。

一方的に数十〜数百万単位の金を使う関係なんて絶対に「恋愛」ではない。



だけど私は、そういう「狂った」おたく、リアコが好きだ。

好きな人のためにダイエットしたり、化粧を研究したり、現場のたびに洋服を新調したりするようなリアコおたくたちが好きだ。

たとえその「好きな人」が「手が届きそうで届かない存在」だとしても、頑張っているリアコは健気で愛おしいではないか(同担以外)。

というか、そう考えておかないと努力していた自分が馬鹿みたいで泣けてくるだろう。私は「リアコ」という存在自体を愛おしいと思うことで保身しているに違いない。さいて〜


またいつか、いい意味でも悪い意味でも盲目的なリアコがたくさんいる世界になるのかしら、と思いを馳せる。

あるいは私が知らないだけで、既にリアコは息を吹き返しているのかもしれない。

「我こそはリアコ」というおたくはTwitterのアカウントを教えてください。


私にはもう体力も財力もないから全通は出来ない。プレゼントも手紙もあまり送っていない。「好き」より「嫌だ」と思う部分が増えた。でも私はまだ「リアコ」だ。

「リアコ」でいたい。もう少し、いや数年、できるだけ長く夢の中で生きていたいのだ。



みんなの抑えきれない「好き」がまた見たい。

私の、今にも枯れそうな「好き」がまた噴出するところだって見たい。


リアコよ、君死にたまふことなかれ。



近況

私は推しの出る舞台を、もはやそこまで熱望していないのだと思う。

チケットは抑えてあるけども、中止だと言われたら「そうか」で終わる気がする。そもそも「やらないだろうな」と考えながらチケットを買っているし。
「残念」とか「絶対絶対見たかったのに!」みたいな気持ちにはならないだろう。まぁ金が返ってくるならいいか、とか、その程度の感情しか持ち合わせていないなと。

「怖い」というのは春頃よりだいぶ落ち着いた(これはまずいことなんだろうが)。
というのも、4ヶ月近く仕事がなく、延々自宅に引きこもっているからだ。
もちろん日用品の買い出しや通院等で外に出る日もあるが、圧倒的にホームにステイしている。ある程度は安全な場所に日々いるので、どこか他人事のように見ているふしがある。
だからあまり怖くはなくなった。現場が始まったらこの意識がどうなるのかはわからない。


しかし安全とは引き換えに、ただでさえ少ない全財産がみるみる減っていくのである。
現場がなくてよかった。いや、現場があったら別の仕事を探して根性で稼いでたか…?

とりあえず住居確保給付金の申請はした。のろのろ書類の準備をしていたので、給付は早くて8月だと言われた。その頃まで私は生きてるだろうか。
いざというときのために500円玉貯金箱には手をつけないでいる。たぶん10万円近くはあるはず。


それでまぁ、家にいるだけなので化粧をしない。
先日久しぶりに化粧をしたら眉毛とアイラインを書くのがめちゃくちゃ下手になっていた。
化粧って自転車と同じで、一度覚えてしまえば体に染みつくものだと思っていたのだけれども、そうではないらしい。

なんならシャワーすら浴びない日もある(汚い)。でも誰にも会わないし家にいて汗もかいてないのだから、1日入らないくらいどうってことない(と、私は思っている)。
そもそも私は風呂がどちゃくそ嫌いだ。頭を洗って水気を切ってコンディショナーだかトリートメントだかをして洗い流して、ぬるついた手を洗い洗顔フォームをネットで泡立てて(中略)、上がったらすぐ化粧水をつけて保湿し、美容液と乳液もつける。髪はドライヤーで何分もかけて乾かさないといけない。
なんだこの馬鹿みたいな作業工程量。何ひとつやりたくない。
そんなわけで「一本で全身洗える」的なメンズビオレの石鹸を買った。めちゃくちゃ楽です。髪はギッシギシになるけど、どうせ誰にも会わないから。

服も買ってない。どこにも行く予定がないから。唯一買ったのは謎のシャツ(アリエクで1000円)。でも着る機会がないまま終わるかも。
来月は現場がある予定だが、準備しておいて中止になったら勿体ないのでギリギリまで粘るつもりでいる。
なんなら新しい服を買わなくてもいい気がしてきた。どうせ客降りも接触もないのだから、去年買ったワンピースを着ていたってわかりゃしないだろう。ていうか推しが私の服を見てるとも、過去に着ていた服を覚えてるとも思えない。

まつげパーマもやってない。私のまつげはもう数ヶ月間下を向きっぱなしである。
美容院も春から行ってない。カラーもカットも自分でやっている。カラーは以前からセルフだ。切るのはさすがに難しいかな?と思っていたが、やってみたら後ろをカットするのが少々大変なくらいで、出来ないこともなかった。上手い・下手は別として、生きていく上で困るようなことにはなっていない。
爪だってセルフで出来るけど、誰に手元を見せるわけでもないので何もしていない。
「どうせ誰にも会わないし」って、すごく便利な魔法の言葉だ。しかし究極に自堕落野郎と化す。


私って、見栄で生きていたんだなぁ。と、つくづく思う。
推しに良い印象を持ってもらいたいから服や化粧品を買い、2ヶ月に1回美容院へ行って、まつげを上げにせっせとサロンへ通った。そのために働いていた。
でも今は何もしなくていい。無駄になるかもしれないなら、最初からしたくない。
お金がないから身なりに気を使わないのか、身なりに気を使わないからお金がないのか。卵が先か、鶏が先か。


私の推しは今のところ元気だ。
けれどもSNSをまめに更新するわけでもなく、これまで通りのペースでいる。
私は、それを「なんだかな」と感じている。このご時世なので推しの健康はいつも以上に気になるじゃないか。
毎日一言、ただ「おはよう」と言ってくれるだけでもいいのに。それだけで安心できるのに。
「変わらない」ということが推しの良いところなのかもしれない。でも私は、変わってほしかった。
舞台上での露出が減るぶん、積極的に自撮りを載せるなり動画を載せるなりしてほしかった。それでお金を取ればいいのに、と。そうしたら喜んで払うのに。
覇気がない、というか、危機感あるのか?と思った。下手したらこの先数年、まともに板に立てないかもしれないのに。これまで通りでいいわけがないのに。
事務所が企画した仕事をなんとなくこなしているだけのように見えて、なんだかもやもやした。

まぁ、私にだけは言われたくないだろう。数ヶ月引きこもって仕事がない、風呂にすら入れないような人間にだけは。
第一、そんな不満を抱く時点で私はもうだいぶ冷めているのだと思う。


だいたい私は2、3年で飽きる。二次元のおたくだったとき、それくらいのペースで新しいジャンルを開拓していた。
推しのおたく3年目。なんかもう、飽きてるのかもしれないな。と、思う。最悪のタイミングで最悪の病が流行った。
接触どころか舞台すら観にいけない。プレゼントも渡せない。手紙は届いてるんだかわからない。ワンチャンを狙うなんて夢のまた夢だ。
そうこうしているうちに私も推しも歳を重ねる。あと3年もしたら、推しは結婚するかもしれない。
そういうことを考えるのが嫌だ。なにもかも億劫だ。頭の中がぐちゃぐちゃになって、脳みそや心臓を握り潰したくなる。

何もやりたくない。何も考えたくない。
今後の生活の心配も。
自分の見目についても。
以前のような気持ちに戻れるのかどうかも。


いらない 何も 捨ててしまおう(突然のB'z)


皆様、どうぞ健やかにお過ごしください。

推しと私〜2年目〜

※この記事は下書きしていたものの存在を忘れ、2020年3月に発掘したので勿体無い精神で上げた推しと私の2年目の記録です。
現在の心境と若干異なっている部分もありますが、面倒くさいのでそのままにしておきます。


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お久しぶりです。
手帳開くともう2年経っておりました。
歳をとると「この前」というのが1年くらい前を指すようになるんですが、推しと出会ったのも「この前」な気がしてならないんですよね。確実にババアになってるのにね。

2年目を振り返る

前回2018年の7月に最高に沸いてるコンチキショウで終わっていたんですけど、その後もいろいろあったので7月から振り返っていきます。
(身バレしたくないので適度にフェイクを入れてます)(って言ってる人の中で本当にフェイク入れてるのって何割くらいなんだろうといつも思う)(フェイク入れたら…虚言じゃん……?)


2018年 7月
・ビジュアルが良すぎて沸くが最前通路席だったのに干されて病み散らかす
・引き続き病みながら別現場。ザ・クソ席。フラスタ出して出席アピール
接触イベ。台風の中わざわざ浴衣を着ていったら色柄を馬鹿にされて憤慨(まぁ古風な浴衣を選んだ私も悪い)
所謂アイドルうちわを持ってチェキを撮ろうとしたら「それ会場で持ってた?」と聞かれる→何か怒られるのか?と思ったワイ「持ってたけど…?」と怯える→「へ〜全然見えなかった〜!」と素で返される(ツイッターにて「ペンライトもうちわも全部見えてます!」と言っていた推し)(嘘やん)
気を許されてるからこその言動かもしれないが、あまりにも…なことが続きすぎて号泣&激怒


8月
現場なし。殺意の波動を抑えながら過ごす。あげた服は着てくれた(写真確認)


9月
現場なし。何をして生きていたのか記憶にない


10月
虚無舞台。軽くとはいえ恋愛シーンがあってきつかった
ランブロを買ったら推しと女のデート写真が出てきてひきつけ起こしそうになる。泡を吹かなかったのでえら〜い!
終演後に謎撮影タイム(ツーショ等ではなく、おたくがキャストを自由に撮れる)。本気のおたく、眼レフを引っ提げて行く。後から見返したらかなり目線くれていた
同現場、別日。謎撮影会に参加(今度はおたくも一緒に写る)。謎ポーズを求められ「は?どうやんの?」となっていたら無言で私の手元に触れ、ポーズを作ってくれる推し。あまりに自然な動作だったので「あぁ、どうもすみません…親切にありがとうね…」と平謝りする私。その場では申し訳なさが勝っていたが、後に思い返してリアコ死亡。なに触っとんねん
同現場、別日。「あのアドリブ面白かったよ」と伝えたら以降その路線に走ってくれニヤニヤする


11月
現場なし。推しが古参を(物理的に)贔屓していることが判明し、ブチギレ
物申してやろうか悩み、病み、寝込んで体重が落ちる(そこまで?)


12月
上記のキレた件について
・そういうことをいつまで続けるつもりなのか
・役者としててっぺん取るつもりないのか
・とにかく私はもうついていけない
等々、超絶ウエメセな内容を便箋8枚にしたためて渡す(呪いの手紙か?)
特別な写真を撮れたり、特別なことをしてもらったり、良い思いもしたけど、辛さが募るばかりだった
笑顔で終わろうとは思っていたが、推しを目の前にしても全く泣けず、むしろ「くっっっっだらねぇ〜〜〜!!!」みたいな気分になり半笑いで終了。降りるつもりであった


2019年 1月
・「降りる」と言ったがチケットを取っていたため、もったいないので現場へ行く
推しのことはなるべく視界に入れないようにし、他の役者を応援していた。通路席で推しが横に来ても見ないようにした。公演自体はとても楽しいものだったので大満足
・同現場の千秋楽で握手会。推しと話したくないので「お疲れさま」とだけ言ってさっさと去ろうとしたら「あの、手紙…会ったら言おうとずっと思ってたんだけど……」と、手を握ったまま呪いの手紙について切り出される。
まさか握手会という、短時間で対応を求められる場でその話をされるとは微塵も思っておらず、頭が真っ白になった(そしてしどろもどろになる推しと私)(コミュ障の集い)
「違うから!ごめんね!」と必死に謝られる(何が「違う」のか、冷静になってから考えてみたが全然わからない。やったのか・やってないのか、やったとしたら何故そんなことをしたのか?という私の疑問が何一つ解決出来ていない)
「私がいるってわかったら嫌な気分になるかと思って、見ないようにしてたし、応援しなかったんだ。ごめんね」と告げると「全然そんなことないから!また会いに来て!」と更にぎゅっと手を握ってくれた(ここまで剥がしのスタッフ・後続のおたくガン無視の推し)(私が引き止めてるみたいじゃねぇか)
「ほんと?よかった!じゃあまたね〜」と言って、何でもないように別れる。会場外に出た途端、崩れ落ちて号泣。子どもが近寄ってきて物珍しそうに私を見ていた(こっち見んな)
結果:降りない


2月
「びっくりしすぎて何も言えなかった」という旨と改めて謝罪をしたためた手紙をプレボに預けたが、クソ制作の香りがしたので届いているかどうか謎(ちなみに某ブランドのそれなりにお高いアクセも入れたが2019年9月現在使っているところを見ていない)
虚無舞台だったので内容について考えることをやめ「ら行の滑舌が特に悪ぃな」とか思いながら推しを見ていた。嫌な客である


3月
現場なし。身内の病気と仕事の繁忙等が重なって心身ともに死んでいたので何もなくてよかった


4月
・客降り舞台だったが推しは降りて来ず。舞台上でも私とは反対側にばかり行く。チケ代が高かったので運営を憎悪
・別現場の虚無舞台。明らかにやる気がない。というか、座組に馴染めていないんだと察した。仕事で人見知りするのやめなさい
特典のポスターが素人作成レベルだったので推しの部分だけ切り取って捨てた(ごめん)


5月
虚無舞台しかねぇのか?内容はそこそこだが、共演の女がとにかく私の嫌いなタイプの地雷女で辛さMAX
特典会では推しとほぼ話さず、何故か共演者たちと仲良くなる
推しから「ツイッター見てるよ」と言われたが「(本名出してないし会話の内容も晒してないのに私のアカウントだって)わかるわけないでしょ!?」と謎の喧嘩腰で返答して終わる。実際見ているのだとしたらどの部分で「私」だとわかったのだろうか


6月
虚無でしかない(虚無じゃないときあるんか?)運営の不手際でいろいろあって悔しくて泣いた
たぶん誕生日にあげたプレゼントを使っていることを確認


7月
史上最強につまらない舞台。もはや「つまらない」とかいうレベルではない。16歳から2.5次元系舞台を見続けて幾年、初めて「何故これでいけると思った?」という作品に出会った。私が制作に携わっていたなら「やっぱり無理です!すみません!」と叫んで逃げ出すくらい恥ずかしい。ひどい。ある意味すごい
しかし推しのビジュアルは大変良く、本人も頑張っているということがよく伝わった。そして此度の座組は居心地がいいのだなということも伝わってきて面白かった(面白がるな)


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以上、2年目の記録でした。
こうして振り返ると怒ったり泣いたりで辛いばかりなのに結局降りてなくてアレですね。「ここで降りたら今まで使ってきたお金も時間も認知も飛ぶ」という恐怖に支配されているんでしょうね。
最近(2020年3月現在)は冷めている時間もより多くなり、いよいよ他界か…?という気もしています。
無事3年目を終えられるのか。
来年もこうしてブログにまとめているのか。
そうであってほしいし、そうでない方がいい気もします。身もふたもないけど繋がりたいからね!
おたくとしてではなく、ひとりの人間として向き合えたらどんなに幸せだろう、と。
それはそれで、今まで見えなかった部分が見えると辛いことがたくさんありそうだね。



(2020年4月30日 加筆修正)

リアコのクソポエムタイム

「ブスだから」

「デブだから」

「お金がないから」

「学がないから」

「才能がないから」

謙遜ではなく、本当にそう思っている。
けれどたぶん、私は1ミクロンくらいは自分のことが好きだ。ひょっとしたら1ミリかもしれないし、100メートルくらい自分のことが好きなのかもしれない。

でもそうやって予防線を張っておかないと、この馬鹿みたいな片想いが本当に実らなかったとき、それはもう、破茶滅茶に傷付くと思う。
弱虫だから死ぬ勇気はないけれど、それでもきっと、三日三晩は泣くんだろうなと思う。いや、もう大人だから三時間くらいしか泣けないかもしれない。「泣く」にも体力が必要だ。

「私がブスでデブでアホでお金も才能もないから仕方ないんだ。そもそも分不相応だったんだ。初めから叶うはずなかったんだ。なーんだ。そっかそっか」

と、未来の自分が納得できるように、先々の自分が出来るだけ苦しくならないように、必死に防御力を上げている最中なのだ。

それの何が悪い。

私は私のことが大嫌いだけど、もうさっさと死んじゃえばいいのにっていつも思うけど、私を守れるのは私しかいないんだから、そうするしかないじゃないか。

だから、実際私は私のことが好きなのかもしれないけど、自分を罵っていることに意味はあるし、安堵もするし、自分のことが大嫌いなのも本当だから。

だからどうか、なるべく呆気なく、感傷に浸る間も無く、どうかどうか、蝋燭を吹き消すみたいに一瞬でこの恋を散らしてほしいと願っている。

ミュージカルテニスの王子様に出たいからさっさと死んでイケメンに生まれ変わりたい

久しぶりに外に出られて、久しぶりに朝帰りをした。
別に朝まで遊んでたわけではない。終電とかいう、人がゴミクソに詰められた、人権もへったくれもないものに乗りたくないから朝帰りをしているのだ。
だから私はひとりだろうと朝帰りするのだが、だいたい何人かは付き合ってくれる。

今回のメンバーを紹介するぜ!!!
フリーターのT氏!!!!
三徹は当たり前の職に就いてるD氏!!!!
そしてニートの私!!!!!以上だ!!!!!
人権もへったくれもねぇ社会のゴミクソメンツだぜ!!!!!(私以外みんないい人です)

さて、そんな朝帰り電車の中で、ふと「何かを書きたい」という欲にかられ、久しぶりにはてブロを開いた。
「今月のPVが◯を超えました!」とお知らせが出てきた。
そんなわけあるか。私は今月どころか数ヶ月ブログを書いていない。
「どこかで晒されてクスクスされているか私の素性を知っている人間にここを知られて隅々まで読まれたに違いない」などという被害妄想を爆発させたので開き直って特定されやすい話をしよう。


ここ1ヶ月くらいの私ときたら本当にゴミ人間なのでほとんど外に出られなかった。
こんなに外に出なかったのは心身を病んで仕事を辞めて以来だ。比喩でもなんでもなく布団と体がくっついて離れない。外傷や内臓的な疾病は訪問診療があるのに精神病にはないのは何故だろうか。精神病こそ外に出られないと思うのだが。

とまぁ私のメンヘラ自慢はそこそこにして、1ヶ月の間に何があったかというと、まず姉のフィアンセが倒れた。
姉は外国の男と付き合っていて、事実婚の段階までいっている。ビザが下り次第日本を離れる、という矢先で彼が倒れた。
しかもアレだ。難病だと言うじゃないか。いったい病名は何だと聞いたら
「ギランバレー症候群」
テニスの王子様を履修済みの皆様にはご理解頂けるであろう。幸村精市が患ったあの病だ(ちなみに幸村は「ギランバレー症候群に酷似した免疫系の病気」にかかっていたのだが、ジャンプ掲載時には「ギランバレー症候群」と書かれていた。そして許斐剛が読者に怒られてコミックスでは「酷似した云々」になった。確かそうだったと思う。たぶん)。
イップスくらいなら現実でも耳にしたことはあるが、まさかそんな難病に身内がかかるとは思っていなかった。おたくの私は「それ…テニスの……幸村がなった病気…」と言ってしまったが非ヲタの姉には「は?テニスの選手?誰?」とキレられて終わった。

いや笑い事ではないしネタにしてる場合でもないし私も深刻になった。しかしまぁこういうのは近い人間ほど落ち込んでネガティブになりがちだ。外側が「大丈夫だって!」というスタンスでいないとみんなでズブズブ沈んでしまう。
そういうわけで私は「幸村は関東大会こそ出られなかったが病に打ち勝ち、全国大会決勝でプレーできるほどの回復力を見せた。薄幸キャラだと思われたあの幸村精市が実は最強の壁として君臨したんだぞ?胸熱すぎないか?そんな展開が彼にもきっと起こる。幸村が治ったんだから彼も絶対治るしすぐに回復する」と、やたら幸村精市を例に挙げて姉を励ました。姉は「だから幸村誰だよ」と言って彼のもとへ飛んで行った。


そうして姉が不在になってすぐ、老人ホームに入っている祖母がベッドから転げ落ち、骨を折った。元々骨の弱い人だし、歳をとったので余計に脆くなっていたのだろう。
ちなみにこの祖母、実は血が繋がっていなかったことが最近判明してそれがまた草だったのだが、この話は長くなるので割愛する。
祖母は緊急入院→手術となり、私が立ち会うことになった。なにせ私はほぼニートなので平日だろうがなんだろうが飛んでいけるのだ。一家にひとりニートがいると便利。
祖母の手術中、ぼんやり考えたのは今後のことだった。さすがに祖母の入院手続きや老人ホームとの連絡諸事は両親や叔父夫婦がしているのだが、この先両親が同じような状況になったら…と。
姉はきっと、日本に帰ってくるつもりがない。残された私だけで全ての手続きや立会いをしなくちゃならないのか?そんなの無理だ。そもそも私、次女なのに何でそんなことしなきゃいかんのだ。
考えれば考えるほど憂鬱になった。

そういう相続問題とか、とにかく全部が嫌で投げ出したいという旨を、友人たちに話した。
そもそも墓は必要なのか?
いま都心は墓地不足で墓を買うために抽選に参加するらしい。
地味な戦いかよ。
墓戦争、聖杯戦争よりしんどい。
あの、カードかざすと自動で出てくる墓みたいなのでいい。
そもそも墓いらなくね?
もうスマホに供養してくれ。
ガチャ引くと「星5 曾ばあちゃん」とか出てくる。
とか話した。もう一度言うが私はわりと深刻だ。


そういう未来への絶望や日々の小さなストレスに晒されていると、私の中で「推し」という存在が暴風雨の中の線香くらい小さく細く、頼りないものに成り果てていた。
それはすごく悲しかったし、自分に対して腹が立った。だけどまぁ、現実ってこういうものだろうなと思って、また悲しくなった。
幸か不幸か、推しの現場は全くない。ツイートも全然しない。そりゃ存在感もなくなる。だって私と推しは所詮「他人」だ。家族に何かが起こったとき、私は「他人」である推しより「身内」を優先しなければならない。してしまう。そういうふうに教育されたから。推しだってそうだろう。
今はまだいい。ある程度の期間だとわかっているから。私の他に分担できる人がいるから。けれど将来、それこそ私が両親や身内の全てを背負うことになったら「好きな人」のことなんてどうでもよくなってしまうのだろう。それが悲しい。悲しいけれど、どうしようもない。


ストレスと花粉等々のアレルギーのせいで顔面がボッコボコになってしまったのも外出できなくなった要因のひとつだ。環境のストレス→醜くなることのストレス→更に落ち込むストレス。完全に悪循環である。ストリートファイターで負けた方のキャラクターがボッコボコ顔になってるくらい、私の顔もボッコボコだ。いっそ殴り殺してほしい。
こういうときは物心ついた頃から抱えている容姿コンプレックスが肥大する。現場がなくてよかった。いや、現場がないからこんなボッコボコになるのか?
とりあえず早く皮膚科に行こうと思う。皮膚科も訪問診療がないのは何故なんだ。

あーいやだいやだもう死にたい。次は絶対イケメンに生まれ変わる。
私がそう言ったら友人は「人間に生まれ変われると思っていることが烏滸がましい」と鼻で笑った。確かに私は「絶対に人間に生まれ変われる」と思っていた。恥ずかしい。蝿に生まれ変わる可能性だって十二分にある。
別の友人が「蝿はさっさと死ねるからいい」と言った。
また別の友人が「蝿には蝿の体感時間があるのだから生の苦しみは人間と変わりない」と言った。
またまた別の友人が「虫は痛覚がないので楽に死ねるぞ」と言った。
我々は何の話をしているんだ。

でもやっぱり、私は生まれ変わったら絶対イケメンになりたい。
中高あたりでモテまくって、かわいい女の子をとっかえひっかえ遊ぶのだ。そのうち原宿でスカウトされ、事務所に所属する。テニミュのオーディションを受け、学校内で4番目に人気くらいのキャラを請け負いたい。そして脳みそがチンコだった頃の写真が流失し、炎上しかけるも「でもこれデビュー前の話だし」「若いんだから遊ぶでしょ」「イケメンなら彼女がいたっておかしくない」「これから誠実に演じてくれるなら別にいい」という謎擁護を受け、無事舞台に立ちたい。
その後は謎のCDデビューをしたり一瞬テレビドラマ(テレ東の深夜30分枠)に出たりしてキャーキャー言われ、三十路を迎える頃にソシャゲのキャラクターで声優デビューをし「テニミュに出ていた顔のいい声優」として細々仕事をして、四十路になる頃に同年代の実力派女性声優と授かり婚()するのだ。そうして「優れた遺伝子が残る」とか「イケボを確約されし子ども」とか、また謎擁護を受けてのらりくらりと生きて死にたい。
ミュージカルテニスの王子様に出られるイケメンに絶対生まれ変わりたいので、ミュージカルテニスの王子様が続いているうちに死んで早々に次の人生スタートさせたい。絶対。

おわり