ボログ

若手俳優を追いかけて暮らしている

リアコよ、君死にたまふことなかれ

リアコおたくが減った気がする。


いや、きちんと統計をとって比べたわけではないし、私の見ている世界が変わった・私の見ている世界がものすごく狭いだけなのかもしれない。



推しに本気で恋して、もう4年目になる。

この歳で、この見た目で、若手俳優のことを(恋愛的に)好きだなどと当然表に出すことはできず、しかし己の内に日々溜まっていく「好意」や「嫉妬」等々を吐き出さずにはいられなかった。

だからリアコおたくとしてのTwitterアカウントを作った。


アカウントを作ったのは3年ほど前になるが、そのときに「同じリアコとして」繋がったアカウントの半分以上はツイートが途絶えている。アカウントごと消える人もいたし、消える前にわざわざ挨拶しに来てくれた人もいた。

その人たちは、もしかしたら秘密の恋が叶ったのかもしれないけれど、おおよそは現実を見たり、推しに飽きたり、他の誰かに恋をしたり、あるいは結婚したのだろう。知らんけど。



この一年で「リアコおたく」はグッと減ったように思う。

リアコじゃなくとも、いわゆる「ガッツ」と呼ばれていたような本気のおたくたちも少なくなった気がする(ぜんぶ私の体感だな)。


現場数がガクンと落ちたことでみんな正気に戻ったのだろうか。「推しがいなくても案外大丈夫じゃん」みたいな。それは私も思った。


そもそも舞台ってただでさえ馬鹿みたいにチケット代が高いのに座席数を減らして上演、となると一席あたりの値段が更に跳ね上がる。


感染症対策でランダム商品がなくなるかも!」と考えたこともあったが、そんなはずはなく、少しでも儲けようと必死な運営陣はせっせとランダムブロマイドを作った(そして会場では販売せず、おたくたちに通販を利用させた)(送料がかかる上に会場での交換が更に厳しくなった)(クソ)。


公演は配信が当たり前となり、現場至上主義のガッツたちは茶の間を馬鹿にするのも飽き飽き……もはや「茶の間」という存在自体が珍しくもなんともないし、どうでもいいのではないだろうか。

そもそも歴戦の猛者たちだって職業や居住地、家族や自分の基礎疾患のことを考えて現場に行けなくなった、ということもあるだろう。


おたくにとって「モチベ」というものは最重要項目であり、これがあるから気を狂わせて働いたり全通したり、当の推しが喜んでるかどうかもわからずに花やプレゼントを贈っていたのだ。


だが、コロナがおたくたちの「狂気」を「正気」に戻した。

「会えない時間」は「推しのこと」ではなく「今後の生活」について考えさせられた。

私たちはみんな狂っていた。

この丸3年で推しに使った金額を考えると軽自動車くらいなら余裕で買えるし、長年やりたいと思っている歯列矯正だって脂肪吸引だって出来たはずだ。いや正確に使った金額は覚えてないんだけど(使ったそばから忘れている)。


私って、無駄な時間・無駄なお金を推しに費やしていたのだなぁ、と。冷静になるとわかる。

一方的に数十〜数百万単位の金を使う関係なんて絶対に「恋愛」ではない。



だけど私は、そういう「狂った」おたく、リアコが好きだ。

好きな人のためにダイエットしたり、化粧を研究したり、現場のたびに洋服を新調したりするようなリアコおたくたちが好きだ。

たとえその「好きな人」が「手が届きそうで届かない存在」だとしても、頑張っているリアコは健気で愛おしいではないか(同担以外)。

というか、そう考えておかないと努力していた自分が馬鹿みたいで泣けてくるだろう。私は「リアコ」という存在自体を愛おしいと思うことで保身しているに違いない。さいて〜


またいつか、いい意味でも悪い意味でも盲目的なリアコがたくさんいる世界になるのかしら、と思いを馳せる。

あるいは私が知らないだけで、既にリアコは息を吹き返しているのかもしれない。

「我こそはリアコ」というおたくはTwitterのアカウントを教えてください。


私にはもう体力も財力もないから全通は出来ない。プレゼントも手紙もあまり送っていない。「好き」より「嫌だ」と思う部分が増えた。でも私はまだ「リアコ」だ。

「リアコ」でいたい。もう少し、いや数年、できるだけ長く夢の中で生きていたいのだ。



みんなの抑えきれない「好き」がまた見たい。

私の、今にも枯れそうな「好き」がまた噴出するところだって見たい。


リアコよ、君死にたまふことなかれ。