ボログ

若手俳優を追いかけて暮らしている

推しの誕生日プレゼントを買ったらラッピングがダサかった②

前回の続き。
東急ハンズで資材を買ってきた。写真を撮り忘れたが、300円くらいの包装紙と、同じく300円くらいのシールで貼り付けるリボンだ。

包装部にて包み方を調べ、なんとなくわかった気になった。善は急げだ。私は実家へ向かった。
故実家に行くかというと、私の家は汚部屋なので作業出来るスペースがめちゃくちゃ少ないからだ。包装紙を広げる場所すらない。




コスプレイヤー時代から実家で様々な作業をしていたので、母からは「また何かやってる」みたいな目で見られた。父は「何してるのか聞きたいけどなんとなく聞いちゃいけないんだろうな」みたいな雰囲気だった。そこまではいい。問題は姉の襲来だ。
仕事から帰ってくるなり姉は「うわっ何してんの?きもっ」と私を見て言う。まだ「何してる」と答えてないのに「きもっ」である。姉はパリピなので、私とは対極の位置にいる人種だ。


私「いや、推しにあげるプレゼントのラッピングがダサいから自分で包みなおそうかなって…」
姉「ふ〜ん。で、包み方わかんの?」
私「わからないから調べながらやってる。いま新聞紙で練習中」
姉「おまえwww折り紙も折れないくせにwww出来ると思ってんのwww」
私「せやな……」
姉「デパート包みでしょ?そんなん見なくても出来るし。ちょっと貸してみな」


こうなるともう私には拒否権がないので、渋々プレゼントの箱と包装紙を姉へ渡した。
姉は昔、某コーヒーチェーン店で働いていて、ギフトラッピングも多々請け負っていた。だからデパート包みくらいチョチョイのチョイだ(と、自分で言ってた)。
そしてプレゼントの中身を見るなり「は!?これいくら!?」と叫ぶ。やめろ。先日の父親の誕生日には900円のネックストラップしかあげなかったんだから値段の話をここでするな。
「さ、さんぜんえんくらいかな〜」とはぐらかしたが、家族全員「そんなわけあるか」と思っていただろう。


姉はしばらく包装紙と格闘していた。
「紙が分厚いから包みにくい」だの「この箱の形やりづらい」だの、散々言いながら包装紙を折ってはやり直し、折ってはやり直し……もはや包装紙も折り目だらけである。これならクソダサラッピングの方がよかったのでは?と後悔し始めた頃、姉が口を開いた。

「キャラメル包みでよくない?」

おまえ!!!おまえおまえおまえ!!!!
デパート包みくらいチョチョイのチョイじゃないんか!!!!???なーにが「見なくても出来る」だ!!!!!!
ブチギレそうだったが、末っ子に人権はないし、選択肢は「いいよ」しか存在しない。


結局、我らはキャラメル包みで妥協した。
「デパート包み」と「キャラメル包み」の違いを説明するのは面倒なので各自調べて下さい。ソシャゲで例えると「デパート包み」が☆5で「キャラメル包み」は☆3です。
しかし、姉はキャラメル包みすら危うかった。「何故そこに…?」という部分にセロテープを貼るし、ピシッと折り目をつけないので全体的に隙間が出来ていた。
「ここはこうして折った方がいいんじゃないかな〜」などと姉の機嫌を伺いながら私は折り目をつけた。姉はハートの女王より傍若無人なのだ。


最後、リボンを貼り付けようと思ったが「巻いた方がいいよ。セロテープも隠せるし」と姉が言うので従った。もはや私は思考を放棄していた。某ビッカメで付けてもらった赤いリボンを再利用し、箱に巻きつける。
そして出来上がったのがこちら。





おかしい。絶対におかしい。
片方のリボンだけ長いのは何故なのか。
姉曰く「その方がおしゃれ」だそうだが絶対に嘘だ。「適当に結んだら片方長くなっちゃったけどまぁいいか」的な本音が見える…見えるぞ……



おかしい…おかしいな……
「リボンを巻いた方がセロテープを隠せる」はずなのに三方向全部セロテープ丸見えなんだよな……




いつもそうだ。姉は「やる」と言う割に最後まで貫かない。お菓子や料理を作りたがるくせに後片付けはしない。今回のラッピングも最後の方あからさまに飽きていた。
まぁ約30年くらい一緒にいるのに全く学習しない私も私だ。「綺麗に包めたなぁ(棒)」と言って、私はビッカメのビニール袋へプレゼントをそっと戻した。
もう一度ハンズへ資材を買いに行くことを決意し、同時に「姉に見せない・任せない・期待しない」と心に誓った。


続きます。

推しの誕生日プレゼントを買ったらラッピングがダサかった①

推しの誕生日プレゼントを買った。
1ヶ月近く前に買った。
推しの誕生日はまだ先である。
張り切りすぎた。



何故こんなフライングをかましてしまったかというと、新発売の商品を推しにあげたいと思ったからだ。
発売日、たまたま私は蟹工船へ出稼ぎに行っていたので数日分の給料を懐に忍ばせていた。そして蟹工船は川崎にあったのである。

川崎と言えば大都会だ。
改装?開発?が終わったらしく、数年ぶりに行ったらアトレが拡大しすぎていて何がなんだかわからなかった。
アニメイトにも行きたかったが、大都会すぎて迷子になり諦めた。ラゾーナへ向かうだけでいっぱいいっぱいだった。ちなみに、ラゾーナの中でも迷子になった。

イオン等もそうなんだけど、だだっ広いショッピングモールにメリットを感じない。最初はルンルン気分で買い物をするが、歩き回っているうちに当然疲弊してくる。
「見に行こう」と思っていた店と自分の位置が端と端、県境を跨ぐのでは?というくらい離れていたら「もうどうでもいい。アマゾンで買う」ってなってしまう。
上野の丸井くらいの大きさが老体にはちょうどいいのだ。縦に伸ばしてくれよ、縦に。



話が脱線してしまったが、そういうわけで私はラゾーナ川崎内の某店で推しの誕生日プレゼントを買った。
見本を店員さんに見せてもらっていると「こちら今日発売の商品なんですよ〜!」と言われた。
知っている。だから買いに来たのだ。
と、言えるはずもなく「えぇ!そうなんですかぁ〜!?ラッキーだなぁ!」などと大袈裟に喜んでおいた。
店員さんはニマニマしていた(ニコニコではなくニマニマ)。笑顔が胡散臭いチャンカワイみたいな人だった。

会計を済ませ、ラッピングを頼もうとすると「ラッピングは別フロアで行っております」と言われた。
め、めんどくせぇ…と思ったがビニールの手提げ袋で渡すわけにも行かないので、すごすごとラッピングカウンターへ向かった。



カウンターには若い店員さんが1人いた。「研修中」の腕章がついていた。この時点で若干嫌な予感。
いや、誰にでも初めてのことはある。場数を踏まなければ成長しない。「研修中」の若い店員さんだから「ラッピング下手そう」という偏見思考もよくない。

私は買ってきた商品とレシートを店員さんに差し出し、ラッピングをお願いした。
店員さんによると包装紙とリボンの色が選べるらしいのだがどれもこれもクソだせぇ。
今日日100均にだってかわいいラッピング用品が揃っているというのに、何だこのラインナップは。下手にポップな感じが安っちさに拍車をかけている(個人による見解です)。

「まぁ無地なら…」と妥協しそうになったが、ダサポップ以外の包装紙が見本として掲げられてるのを見つけた。その包装紙は有料なので324円払うと選べるそうだ。
「シックな感じだし、これならいいかな」と、私は有料の包装紙を選んだ。
今にして思えば、包装紙ではなくラッピング袋で頼めばよかった。入れて結ぶだけだから簡単だし。まぁラッピング袋も絶妙にダサかったから仕方ない。

20分ほどでラッピングが出来上がるというので、上の階で買いもしない脱毛器などを眺めていた。
光脱毛器とイオンスチーマーと布団乾燥機が欲しい。



そして20分後に出来上がったのがこちら。

なぜHappyBirthdayシールを…?
普通でいいんだけど…リボンだけでいいんだけど…

シール浮いてるし。

折り目がとんでもないところにあるし、両面テープはみ出してるし。
分解したらセロテープとテープ糊も駆使してたんだけど、どんだけ苦戦しながら包んだのだろう…そんなに止めるとこある…?

そうは言っても、これ以上を求めることは出来ないので「あっ ありがとうございます〜」と八方美人ぶりを発揮して持ち帰った。
さらに驚きなのはラッピングした商品をあのビニール袋で渡されたことだ。紙袋の用意ないんか…?



百貨店レベルの包装を期待していたわけではない。
が、私も昔は接客業をしていたし、折り目やリボンの結び方1つで客のテンションが上下することがわかっているだけに…もうちょっとこう…なんとかならなかったかな…安い買い物でもなかったし。

基本的に日本の包装技術は高いと思うんだけど、これほど前衛的(オブラート)なラッピングを見たのはデンマーク人から貰ったお土産以来である。
デンマーク人いわく「デパートで買った」そうだが、穴あいてるし至る所にテープが貼ってあるしで凄かった。写真に残してなかったのが悔やまれる。
海外はラッピングサービスがないのが普通らしいので、店員さんでも包むのは上手くないそうです。ていうか包装紙とか破り捨てそうだし、丁寧に包むだけ無駄なのかな(偏見)。



ビニール袋に入ったプレゼントを残念な気持ちで見つめていたら「これなら私がやった方がうまいのでは…?」と、完全に舐め腐った思考がむくむくと広がっていった。
私は折り紙が出来ないほどの不器用である。何故こんな自信に満ち溢れていたのだろうか。

後日、東急ハンズへ行き、包装紙・リボン・紙袋を買った。
いわゆる「デパート包み」の方法をググり、新聞紙で予行演習をしてから本番に挑んだ。
その様子は②でお伝えしようと思う。


次回「キャラメル包みでいいだろうが」

興味のない層を舞台に連れていくにはどうするか

Twitterにこんなアンケートがあった。

「演劇を観ない人」が対象なので投票が出来ず、現時点で結果が見えないのがもどかしい。
何かと小馬鹿にされがち(ファンの自虐含め)な2.5次元舞台だが私は「演劇」だと思っているので、一応投票はしないでおいた。

リプツリーを覗くと「広告・宣伝が下手で内容がわからない」との意見がある。ほんまそれ。よくわからないものにお金を払える層がどれだけいるかという話だ。
私は「推しの顔見たさ」でチケットを何枚もとっているので、正直舞台の内容などどうでもいい。いや、折角観るなら面白いに越したことはないけども、私はどんなにつまらない映画でも寝ないタイプで、無心で観るのが得意だから大丈夫なのだ。
タイトルどーん!若手俳優の名前だーん!なんかそれっぽいキービジュ&キャッチコピーでーん!な、フライヤーだけで内容を理解しろというのは無理だと思う(勿論きちんとしたフライヤーやサイトもあるけど)。肝心のあらすじが蟻の足くらいちっちゃい字で書かれてたりしたらもう怒髪天。「選ばれし者しか読めない文字」じゃないか。考古学じゃねぇんだぞ。
私はまだ老眼を回避しているが、そう遠くないうちに奴らは必ずやってくる。そのときに、眼を凝らしてまであらすじを読むだろうか。現時点で読んでないんだから絶対読まない。ちなみに、私はサンシャイン劇場の座席ですら腰痛で悲鳴をあげそうになるので、観劇はある程度歳がいくと難しい趣味なのかもしれない。

「読まねぇ奴は客じゃねぇ」は、ごもっともだ。興味のない人間に媚びる金も時間も勿体無い。どんなに趣向を凝らしても、観ない奴は何だかんだと理由をつけて観ないだろう。
でも私は推しの顔が見たいのでチケットを買う。そういう人間も確かにいる。純粋に演劇が好きな人、役者や演出家などのファン、製作陣の友人知人以外を呼ぶには、やはり目の引く広告を作るしかないんじゃなかろうか。デザイン重視で視認性の低さが問題になるケースは、舞台に限った話じゃないんだろうけど。



オタクが2.5次元舞台以外に行かない理由

2.5次元舞台でついたファンは一般舞台を観に行かない」という説はよく聞くし、実際私もそう思う。推しの次の舞台は小劇場にも関わらずチケットが余ってる。推し以外にも、わりと人気の若手俳優も出ているのに、余っている。

俗にいう「若手イケメン俳優」のほとんどが2.5次元舞台に出ている・出ていたというのが昨今の風潮じゃないだろうか。
私の推しも2.5舞台で人気が出たタイプだが、2.5舞台と接触現場以外で遭遇する同担はだいたい同じ顔ぶれだ。つまり、大多数のオタクは「彼」が見たいのではなく「とあるキャラクターになっている彼」が見たいのだ。推しのファンとしては微妙な気持ちになる。しかし、否定も出来ない。

推しと共演した役者のことを「いいな」と感じることがあるし「他の役を演じているところを見てみたい」とも思う。思ってはいるけど、推しの舞台を全通するだけで精一杯だ。ツイキャスやLINEライブで「チケット発売中なのでよろしくお願いします」と必死に訴えかける彼らを見ていると申し訳なくなるので最近は視聴しないようにしている。ごめん…行けなくてごめんな…
私が油田の1つや2つ持っていたら彼ら全員養えるけど、現実はその日暮らしのほぼニートだ。「何に重きを置くか」は人によるし、他人がとやかく言うものではない。生活とチケットを天秤にかけたら、生活を優先すべきだろう(私の知ってるオタクはだいたいチケットを取るけど)。
そういう理由で「2.5次元舞台以外を観に行かない」という人も、きっといると思う。「よくわからない舞台」にお金を割くより「自分の好きな作品が原作の舞台」の方が安心感が違うだろう。金銭的な理由だけでなく、観劇には時間も必要だ。学生ならば学校があるし、社会人は仕事がある。各々の限られた時間を使ってでも「観たい」と思わせ、選ばれる作品にする……やっぱり2.5次元舞台って得だ。あらすじを読まなくてもだいたい話はわかってるし、原作のファンが既についているのだから。
まぁ「2.5次元化されて好きな作品・キャラが汚された」って主張を見かけることもあるけど、それは置いといて。



演劇を観に行かない人を劇場へ呼ぶには

結局、熱烈なファン以外を呼び込むのは難しいのだと思う。
上記アンケートのリプにもあったが、小さな舞台には「チケット販売のノルマ」が存在する場合が多い。「1人につき◯枚売れ」ってことだ。だから役者は自分の名義でチケットを買ってもらおうと必死になる。知名度があるならまだ救いようがあるが、無名の役者は友人知人家族を頼るしかない。それではいつまで経っても「お客さん」は増えないだろう。そういう構造が出来てしまっているのもよくない。よくないけど、チケットを売らないと劇場は借りられない。劇場を借りたからには売り上げがないとまずい。物凄い悪循環な気がする。

推しの次の舞台の話を友人にしたところ「楽しそうだから1回行こうかな」と言ってくれた。女神か。だがしかし、無理矢理呼び込んだ感も否めない。本当はあまり興味がないけど、私が鼻息荒く語ったせいで頷かざるを得なかったのかもしれない。
「チケット代払うから!」
私が慌てて言ったら「えーいいよいいよ。◯◯くん(推し)頑張ってるもんね」と友人は笑った。女神だ。
推しには大成してほしいし、美味しいご飯を食べて健康に過ごしてほしいし、西川の羽毛布団で快適に眠ってほしい。そのためには実績、つまり「お金を払う客がついている」ことを偉い人々に伝えなくてはならない。友人はそれがわかっているからチケットを自分で買って観に行く、と言ってくれたのだ。
私がチケットを購入し、彼女に渡しても、最終的にお金が辿り着くところは変わらない。けど「己の意思で買ったチケットで入った客」と「貰ったチケットで入った客」とでは、雲泥の差があると思う。結果が全ての世界で甘っちょろい話はしたくないが、そういう客はきっとこれからもお金を出して観にきてくれる。嫌々ではなく、自分の意思で。

友人のような人間は多くない。新規の客を呼び込むには、役者や製作陣は勿論、私たちオタクも頑張らないといけないのだろう。
チケットとるから、お金払うから、私と一緒に推しを観に行ってくれ。絶対楽しいし、損はさせないから。

頑張れば頑張るほどネズミ講っぽくなる。

刀ミュに行ってきた

「次はラッピングの話をする」と言いましたが、私は息をするように嘘を吐きます。


ミュージカル刀剣乱舞〜結びの響、始まりの音〜に行ってきました。いろいろあってしばらく観に行けず、三百年以来の刀ミュ。
綺麗になった日本青年館に初めて行ったのですが、椅子がふかふかでびっくりしました。特に背面がふかふか。あれだけふかふかなのに座布団いる…?「みんな同じ座布団持ってんな〜流行ってんのかな〜」と思ったら貸し出しだそうで。至れり尽くせりかよ。でも物販スペースはもうちょい広く作るべきだったのでは…?まぁ昔の青年館もクソ狭かったけど。
あと金のかかってる舞台はすげぇなって感じでした。映像とか舞台装置とか凝ってて…格差を思い知る春。


以下ネタバレありの感想
(まとめるの面倒臭いので思いついたところをバラバラに書いてます)




むっちゃん

むっちゃんにそれやらせる必要あった?というのが最大のしこり。
元の主を目の前で失くした痛みを知っているからって、辛くないわけないだろうに…あまりにもアレな役回りでは…「ちょちょぎれた」って言ってたけど、絶対そんなことはないんだろうし。もう少し陸奥守のこと掘り下げてほしいなと思いました。今後の公演でむっちゃんが過去と向き合う姿が描かれるといいなぁ。
あと銃声に「ビクゥッ!!」としてしまった。オタクは大きい音にびびる。

そんな陸奥守、殺陣が軽い?浅い?何だか「人を斬ってる感」がないなぁと最初に思ったんですよ。正直「あまり上手じゃないのかな」と…(個人による感想です)。
片手で扱ってるから難しいのかな〜などと勝手に解釈してたら「稽古サボってたから」と、自白。な〜んだそういう設定なのね!と納得しました。
だがストーリーは進み、時間遡行軍と対峙した陸奥守の「命までとる必要はない」という衝撃の一言。だから浅いんだ…!殺す気のない構えだったのか…!
あえての演技だったことに感動し、休憩時間で友達に熱弁したんですけど「えっ 軽かった?普通じゃない?」と言われて一瞬で興奮が冷める。深読みしすぎなのか。

巴さん

お辞儀が美しい。
何より感心したのが、薙刀をずっと小脇に抱えてるんですよね。いくら軽量化した小道具で、タッパのある人が持つとは言え、長ものを小脇に抱え続けるのって難しくないですか?鋒か柄が床についてもおかしくないと思うんです。でも巴さん、ほぼ抱えてました。すごいなー
そして薙刀を小脇に抱え、ヒールのある靴で、回転する高台から階段を降りてこさせるという「これはどんな苦行だ?」という演出。転倒しないかはらはらした…

あと巴の「物語を持たない刀の成れの果てが時間遡行軍なのでは」という解釈、興味深いなぁと。たいていの刀は派手な逸話なんか残ってないだろうしね。巴は集合体として審神者に出会えたけど、全ての刀がそうなれるとは限らないわけで。恨めしい気持ちを抱えたまま時間遡行軍に堕ちていくのかも…と考えるとゾッとします。
土方さんについていた時間遡行軍の三人、愛嬌があって好きでした。「まだ自我が残ってるのか?」と思わせるような部分もあり、時間遡行軍は何者なのかという考察に一石投じた感ありました。私が観てない公演でここらへんの話言及されてたらごめんな。

堀川くん

歌がうめぇ。とにかくうめぇ。
久しぶりにしょごを見た…相変わらずかわいいな…土方さんに捕まったときに笑ってるところが狂気を感じてよかったです(嬉しくて笑ってるのだと頭では理解している)。あんなにかわいいけど何考えてんのかよくわからない感じが素敵。

榎本さん

Dズニーシーのショーが始まったのかと思った



2部に関してはうちわ&ペンラを持たぬ者に人権はなかったので割愛します(キンブレ家に忘れました)

推しの「お名前シール」を作ってみた

私は字が汚い。
「書道をやっていた」と話せば高校時代の選択授業の話だと思われるくらい、猛烈に汚い。有段者なのに。

故に手紙を書くのがしんどい。推しの名前を書くのも嫌だ。全部ひらがなで書いてやりたい(ひらがなはわりと自信がある)。
そんな私でも「書きやすい字」はある。要は「バランスがとりやすい字列」ということだ。前職で宛名を書いているとき「この人の名前は書きやすいなぁ」などと考えながら書いていた。古河さんとか浜崎さんあたりはいい感じに書ける。
逆に「バランスがとりにくい字列」もある。それが私の本名だったり、推しのフルネームだったりする。いい加減にしてほしい。
産まれて30年近く経つが、私は未だ自分の名前を上手く書けた試しがない。推しの名前なんてもっと書けない。推しのご両親には心底感謝しているが、もう少し難易度の低い名前をつけて欲しかった。


「名前ハンコ」の存在を思い出す

「いいからはよ名前シールの話をせい」という感じであろうけども、もう少し前フリにお付き合い下さい。

私が昔いたジャンル(二次創作同人)では差し入れ文化が盛んだった。
小さいジャンルだったので、知人の知人はみんな知り合い状態だった。だから「あの人にだけ差し入れを渡すわけにいかない…」と、皆思ったのか、はたまた「飴ちゃんあげる」精神なのか、同人イベントではとにかくお菓子を貰ったし、私もお返しした。
その際、メッセージやHNを小さなメモに書いて添える人が多々いたのだが、量が量だ。面倒になったのだろう。シャチハタのようなハンコでHNを記載する人が現れた。以降、界隈でちょっとしたブームになり「お名前ハンコ」は我がジャンル作家の必需品になっていた(めちゃめちゃ小さな世界の話です)。
ちなみに、当時の私は作らない派だった。ネット注文だろうと、己のHNをハンコ屋さんに頼むのは何となく気恥ずかしかった。「†††妃咲紅琉羽†††」などというHNだったわけじゃないけど、何か恥ずかしかった。あと単純に面倒臭かった。シャチハタ押すのすらめんどい。無記名でお菓子渡してた。
そのことを、数年経った今、ふと思い出した。
「推しの名前でハンコを作ればいいのでは?」

おたく事に関しては抜群に行動が早いので「名前 ハンコ」でググった。出る。めちゃくちゃ出る。子どもの上履きやら体操着やらに押せる「お名前ハンコ」が。奇しくも入学シーズン。楽天やらYahooやらベルメゾンやらが、こぞって注文を承っていた。
子どもの一人や二人や三人いてもおかしくない年齢の私だが、欲しいのは推しの名前のハンコである。まぁ用途は違えど、注文出来ないことはない。仕様を見つつ、デザインがいいところで作ろうと思っていた。高い。シャチハタタイプにしろ大小サイズが揃ったセットにしろ高い。チェキ数枚撮れる。
そりゃオーダーメイドだし、耐水インクも付いてくるし、半永久的に使えるものと考えればちっとも高くないお値段だ。しかし私は「推しの名前」で作る。正直言って半永久的に彼を推しているかわからない。
「ていうか勝手に他人の名前でハンコ作ってる奴こわくない…?重くない…?」とすら考え始めた。他人の名前でハンコ作ってる人がいたら申し訳ない。


千社札シールってあったよね

そういうわけで「お名前ハンコ」は諦めることにしたのだが、同じサイトで「お名前シール」なるものも販売しているのを見つけた。用途はハンコと同じだが、アイロンプリントが出来たり、防水性のシールがあったりする。サイズも様々で、版権キャラクターのかわいいシールもあった。
だがしかし高い。あとそんなに大量にいらない。大小いらない。おはじきサイズの推しの名前シールなんてどこに貼ればいいんだ。

ユーキャンのペン字講座受けた方が早い。そんな考えが頭をよぎる。
いや、しかし待てよ…?浅草とか観光地的なところに千社札シールの機械あった…こち亀千社札シール作れるところ見たことある…
と、実際の出来事なのか妄想なのか危うい記憶の糸を手繰り寄せるべく「名前シール キャラ」で検索した。そうしたらパレットプラザのサイトに辿り着いた(前フリ終わり)。


サイズとかデザインとか決める

パレットプラザ55ステーションで行ってるこのサービス、正式名称は「お名前シール&スタンプ」というそうです。
注文は店頭orネットで出来るが、必ず店舗で受け取る必要がある。自宅や職場の近くに店舗があると便利。
お名前シールの場合、なんと注文してから最短3時間で完成するらしい。だがしかし、私は引きこもり野郎なので家を出るまでに心の準備がかかる。普通に翌日取りに行った。

さて仕様だが、私は「スタンダードタイプ」を選んだ。

手紙やプレゼントに貼りたいだけなので、防滴である必要はない。
サイズは中、キャラクターシールを選択。スヌーピードラえもん、オタク女が大好きなマイメロもある。
私はアランジアロンゾにした。アランジアロンゾはかわいい。シンプルなデザインで字も目立つ。媚びてない感じがまたいい。でもミッフィーちゃんも捨てがたかったので次回はミッフィーちゃんにしたい。
キャラクターシール(中サイズ14枚)でお値段は367円。オリジナルシール(イラストと背景が選べる)だと302円なので、版権料がかかってるっぽい。いずれにせよ、試しに作ってみるにはありがたい価格設定だ。

苗字と名前の間にはスペースが入る。推しの苗字が「○○」、名前が「××」ならこんな感じで入力するといい。


そして出来たのがこちら

そんなこんなで注文終了。先ほど品物を取りに行ってきた。

「あのぅ、名前シールを注文したんですが…」
挙動不審な私は注文メールを店員さんに見せる。「あ、はーい!」と慣れた様子で袋を出してくれる店員さん。写真のプリントをお願いするときと同じ袋だ。

ところで最近の子ってプリント出しに行ったりするのか…?昔はこの袋の中に写真とネガがこんもり入ってました。写ルンですが再ブームなくらいだから、写真屋さんに行く人も増えたのかなぁ。

話を戻して。店員さんが持っている袋を見てギョッとする私。

おなまえ(Name)○○ ××さま ←推しの名前

そこ注文者の名前を書く欄じゃなくて!?いや、普通は子どもの名前でシール作るんだろうから苗字だけ書いたりするのかもしれない…知らんけど…注文者とシールの苗字が違うし、なんなら「さま」まで付けている。どう考えても子どものシールではない。恥ずかしい。

「こちらでお間違いないですか?」と、シールの確認をしてくる店員さん。
わぁ、かわいい。かわいいけど追い討ちをかけるのはやめてくれ。お間違いないから早く仕舞ってください。


結論:店頭受け取りは恥ずかしい

簡単に、しかもお安く注文出来てキャラクターもかわいいものが多い。だが、赤の他人の名で注文すると恥ずかしい。パレットプラザ側が想定している顧客層とは掛け離れた存在のおたくが悪い。ちなみに印刷はとても綺麗。擦ってみても滲む感じはなかったです。さすが写真屋さん。

もっと低コストにしたい、デザインにこだわりたい人は自分でラベルシール作った方がいいのかも?でもラベルシールって結構いいお値段するのよね。プリンターのインクもかさむし。労力もかからないし早いから、面倒臭がりな私は俄然このサービスを推したい。

どうせなら封筒に貼ってみた感じも写真撮りたかったんですが、推しの現場がしばらくないので手紙書けませんでした。そのうち追記で写真載せます〜

手紙の話

一度書くのをやめたらもう二度と書かない気がしていたけど持ち直しました。
泳ぐのやめたら死ぬマグロの気持ち。


今回は「手紙はどう書けばいいの?」についてまとめてみます。
私の友人には「推し」と呼べる俳優がいなかったのですが、ちょっといいなと思う俳優さんが出来たようで手紙を書きたくなったそうです。
しかし俳優宛に手紙を書いたことがないので「何を書いたらいいのかわからない」と相談されました。同じような境遇の方のお役に立てば幸いです。
書き慣れてる人は今更な話てんこ盛りなので読まなくていいよ!


ちなみに、彼女は手紙を出したことがなければプレゼントを送ったこともなかったそうで、貢ぐ文化にも衝撃を受けていた模様。
まぁ言われてみれば確かに異様。何で貢いでんだろうなぁ……趣味?



何に書けばいいの?

普通にレターセット買ってください。
お誕生日のお祝いならバースデーカードでもいいし。
最近は小さめのメッセージカードも多種多様ですよね。一言二言ならそのサイズでもいいかと思います。


かく言う私は最近ポストカードに書いてます。
前に変形ポスカを推しにあげたら喜ばれたので、以降長文を書くとき以外はカード派になりました。
変わったデザインや綺麗な絵・写真のポストカードが売ってると「推しに渡そう」と、ついつい買ってしまい…ストックが大量にある現状。
小さい字でみっちり書くと読む方もうんざりしそうなので、数行ささっと書き、プレゼントに添えて一緒に渡してます。
手紙だけ渡すときはさすがにレターセット使うけどね。プレボに突っ込むなら尚更。封筒に入れないと手紙の内容丸見えですから。


で、何故わざわざこんな当たり前のことを書くかと言うと若手俳優の現場には色紙を贈るおたくがいるからです。特に2.5次元の現場に多い。
いや、別に色紙に書(描)いてもいいよ…?いいけど、何故そんな持ち帰るのも処分するのにも困りそうなものを送る…?としか思えないので、私的にはナシです。
原作者の先生から頂くならまだしも、素人が描いた絵で喜ぶ人ってごく僅かなのでは…?
私は2次元おたくだったから嬉しい(スケブ世代)けど、相手はイケメンです。
どう考えてもヒエラルキー最上位。恐れ多くておたくの描いた絵渡せない。

メロスは激怒した。必ず、かの森羅万象の色紙文化を除かなければならぬと決意した。
メロスには同人絵がわからぬ。
メロスは、若手俳優のおたくである。キンブレを振り、トレブロを交換して暮らして来た。
けれども教室の隅でノートに絵を描いてたら「うわ、何かイラスト描いてる〜!」と学内ヒエラルキートップ集団にからかわれる肩身の狭いおたくに対しては、人一倍敏感であった(共感性羞恥)。

そんな思い出があるので、やめてほしい。メロスという名の私が恥ずか死ぬ。

貰ったものを写真に撮ってSNSへ上げる役者もいます。
そういう時、確かに色紙は目立つ。「私が描いた色紙!」ってすぐにわかって嬉しいでしょう。なんなら友達や同担に自慢できる。
けど「写真を撮ったあと捨てられる」と、まことしやかに囁かれているのもまた事実です。写真なら場所とらないからね。
ま、手紙も捨てられてるかもしれないけどな!
とにかく、同担に裏で叩かれる贈り物ぶっちぎりナンバーワンなので、あえて色紙にこだわることはないと思う。



どれくらいの長さにすればいい?

友達は「書くことがなくて埋まらない」と言っていた。
逆に問いたいのだが、書くことないのに何故手紙を渡そうと思ったんだ…?


しかしまぁ、正直私も最近は書くことがないのです。
手紙というものは慣れてくるとマンネリ化します。
だって「好き!かっこいい!最高!」しか言えないんだもん。
舞台ごとに感想を伝えていますが、毎公演手紙を書くとなると些細な変化を主軸にする必要があるんですよね。
それを「気付いてくれたんだ!嬉しい!」と思うか、はたまた「どんだけ細けぇとこまで観てんだよ」と思うかは俳優によるところなので知りません(鼻ホジ)。
私の推しは後者だろうなと勝手に思ってるので、最近は短めの感想にしています。
私が推しの立場でもアラサーBBAに監視されてんのキツイ。


そう、無理矢理長くすることはないんだ。
小さめの便箋1枚でもいいし、それすら難しいならカードに書けばいいんです。長すぎるのもよくないのではないか?と私は思います。
熱く語りたい気持ちもわかるけど、役者はたくさんの人から手紙を貰っているであろうから、だらだらと冗長な手紙を読むほど暇じゃありません。それもお仕事のうちだけどね!
でも、しっかり読んでほしいなら質・量ともに整えた方がいいに決まってます。言いたいことは簡潔にまとめましょう。
B5サイズの便箋(一般的な大きさのやつ)で書くなら3、4枚が限度かな。個人的には、ですが。



どんな内容を書けばいい?

推しの直近の仕事(舞台、CD、雑誌、イベント等)についての感想を書く人が多いと思います。
上記の通り、私は「好き!かっこいい!最高!」しか言えません。
基本的に褒めることしかしないのですが、中には「お前に言っておきたいことがある。かなり厳しい話もするが、俺の本音を聞いてくれ」という方もいるでしょう。
褒めるだけがファンの仕事ではないので、否定はしません。引っかかる部分があるなら伝えないと、結果的に彼らの成長を妨げることにもなりうるしね。
けど役者はプロである前に人間なので…(当たり前のことですが)。オブラートに包んで、なるべく優しく伝えてあげるといいんじゃないかなぁと思います。
言い方ひとつで印象は変わるもんね。どうせなら推しに好かれたいじゃん…


そして「感謝」。
友達は「存在してくれてありがとうと書きたい」と言っていた。気持ちはわかるが崇めすぎです。
感謝を伝えるなら「素敵な◯◯(役名)をありがとうございます」とか「推しくんが◯◯をやってくれてよかったです」とか「推しくんのおかげで◯◯がもっと好きになりました!」とか…そんな感じでどうでしょう?
あと手紙に限らず、Twitterのリプでもブログのコメントでもよくいるタイプの「私は今日おやすみだったよ★」みたいな報告してくるやつ。

クソどうでもいいからやめろ。

「ここはお前の日記じゃねぇ」とは先人の有難い言葉です。
おたくの近況トークなんて彼らにしてみればハイパーどうでもいい。素性の知らない人間のプライベートを知って喜べるわけないだろ。
やめましょう。



まとめ?

私の口の悪さが露呈して終わってしまう。
そもそも「手紙を出す」ってすごくない?
わざわざレターセット買って、直筆で、時間を惜しまずに感想や感謝を伝えてるんですよ?
メールやLINEした方が絶対楽だし早いのに。
もう自分で自分を褒めたい。偉い。みんな手紙書いて偉いよ。


直筆のお手紙って、何だか特別でわくわくするじゃないですか。年賀状もらうとめっちゃ嬉しくない?
私たちの推しも、きっとそうなのではないかな〜と思うんです。
だから難しく考えず「推しくんいつもありがとう〜!好きだよ〜!」くらいの気持ちで書いてください。


などと、散々「あれすな。これもすな」と吐いたあとに言っても説得力ねぇな。

推しとの出会いの話

少し前にはてブロ始めようと思って書いた記事があったのでサルベージします(mottainai精神)
ただの自分語り&推しと出会った時の備忘録です。



私はアラサーである。
職業は伏せるが、いわゆる「普通の仕事」には就いていない。会社に勤めていたとき、ストレスでとある病気にかかってしまった。その持病のせいで普通の仕事をするのが難しい。
なんとか食っていけるくらいのお金を得て、細々暮らしていた。

私は、おたくだ。
おたくと言ってもジャンルは細分化されているが、アニメ・漫画・ゲームなどの二次元が好きなおたくだった。
ここ数年はソシャゲばかりやっていた。体がつらくて伏せっているときでも遊びやすいのが良い。

そんな私が、今更若手俳優にハマった。
いわゆる2.5次元舞台というやつを観に行ったら、ストンと、面白いくらいあっさりと落ちた。
好きな作品が舞台化し、友達に誘われたので、運営へのお布施のつもりで観に行くことにした。
正直、全く期待していなかった。事前にサイトで観たキャストは、そこそこのビジュアルの子もいれば「何でこの子を使ったんだ?」と首をかしげるくらい不釣り合いだと感じる人も、お世辞にも人気俳優とは言えない子もいた。名前を聞いたことある俳優が数人いるくらい(私が無知なせいもある)。
それでもまぁ、巡り巡って原作へお金が入るならいいやと思い、観に行った。
結果、ドハマりした。

私の座席の延長線上に、すらっとした体躯の男の子が現れたのだ。
わりと良い席で、前から3列目くらいだったと記憶している。私は目が良いので、その距離なら充分キャストの細かい表情・仕草を観察できた。
彼は、私の目の前で、とあるパフォーマンスをしてくれた。フッと微笑んで、去って行く姿が、すごくすごくかっこよかった。人生で、あんなにかっこいいと思う人に出会ったのは初めてだった。
原作では、まぁそこそこ好きなキャラだったけど、一番ではなかった。その彼に、一瞬で虜になった。

若手俳優にハマったのはこれが初めてではない。高校生〜社会人2年目くらいまで、テニミュを追いかけ続けていた。
私の席の延長線上にいるキャストが、スーッとラケットで指してくれると、変な声が出そうになった。今も昔も単純である。
私は「テニミュ」というプロジェクト&カンパニーが好きだったので箱推しに近かった(もちろん贔屓のキャストもいたけれど)。今ならDDと揶揄されるかもしれないが、当時そんな言葉はなかった……と思う。多分。

高校・大学のときは、それこそ狂ったように日本青年館へ通っていた。改装される前の、薄暗い日本青年館大ホール。
テニミュは安いので、学生のバイト代でも賄えた。大学でろくに友達も作らず、バイトしてバイトして、日本各地へ遠征し、いろんな地域に住んでいる子と仲良くなった。
楽しかったけれど、年を重ねるごとに地方の友人たちとは疎遠になっていった。何より、私がテニミュに飽きていた。キャストの名前がさっぱり覚えられなくなっていた。
キャストが若年化していき、ほとんどが自分より年下になっていた。こうなるともう「みんなかわいい。えらい」という感情しか芽生えない。昔はキャストのこういうところがうんたらかんたら〜と、偉そうな感想をブログにつらつら書いていたのに。
2ndシーズンは付き添いで何度か行き、ドリライにも一度参加した。3rdは観たことがない。結局、私はテニミュの世界からフェードアウトした。

その後、某自転車漫画、某刀ゲームなどの舞台を観に行ったが、沼に落ちることはなかった。
楽しいし、イケメン俳優を見たらキャーキャーと色めき立ったが、そこから先に進むことは全くなかった。
私は、たまに2.5次元舞台へ行く、二次元おたくへ戻っていた。

そんな状態が数年続いたのち、件の彼に出会った。
衝撃だった。正直、顔はまったく好みでない。だが、いい。骨格が好きだ。演技がうまいかと言われたら、まぁ若手俳優のソレである。どちらかと言えば、立ち居振る舞いや表情に魅せられた(俳優に対しての褒め言葉ではないかもしれない)。
彼の他の演技を観てみたいな、と思った。

そういうわけで、若手俳優にハマってしまった。
私の推しは20代半ばである。若い。いや、若手俳優界ではさほど…であるが、アラサーの私からしてみたら好きになるのが申し訳ないほど若い。
彼は舞台俳優だが、目立った作品に出たことはないらしく、同年代の俳優にくらべたら実績もファンも少ない。
でも、好きなのだ。どうしようもなく好きだ。「これはガチ恋か…」と思っていたが、最近の若い子は「リアコ」と称することを知った。「リアコ」って言葉はいつから出来たのだろう。私が知らなかっただけかな。

推しの事務所は俳優よりアイドルが多く、アイドル部門のイベントは毎週のように行なっているが、俳優のイベントはほぼない。界隈で有名な俳優が何人か所属しているが、その子たち以外はぽつりぽつりと舞台に出ている印象だ。
その少ない機会を逃さないように、私は推しに会いに行ってる。月一で会えたらいい方。
事務所主催イベントのチケ代はめちゃめちゃ安いし、そもそも滅多にやらないから通うのは楽。楽だが、チェキ代がかさむ。
舞台はテニミュみたいに安くはない。まぁ、諭吉一枚でお釣りが返ってくる程度だが、ジリ貧で暮らしていた私にはキツかった。
仕事、増やすか。と、そのとき思った。もう何も出来ないと思っていた。やる気もなかった。このまま家に引きこもっていれば、ぎりぎり生きていけるし、なんて考えていた。その私が、外に出て、働く。

それから、少しでも若く見られたい・小綺麗なおたくがついてると思われたくて、服や化粧品を買い漁るようになった。これも痛い出費だが、おかげさまで出会った瞬間に嫌悪感を露わにしたくなるような見目は回避出来ている(と思う)。
どうせならプレゼントもあげたい。何かしらの役に立ちたい。恥ずかしい話、患っている間は寝たきりで、家から一歩も出られなかった。その私が、推しのプレゼントを探しに外出している。いくつかお店を巡り、店員さんに相談して「ラッピングしてください」などと言っている。

推しのおかげで、社会性が少し蘇った。
ありがとう、推し。私、あなたのおかげで生きてて楽しいよ。