ボログ

若手俳優を追いかけて暮らしている

興味のない層を舞台に連れていくにはどうするか

Twitterにこんなアンケートがあった。

「演劇を観ない人」が対象なので投票が出来ず、現時点で結果が見えないのがもどかしい。
何かと小馬鹿にされがち(ファンの自虐含め)な2.5次元舞台だが私は「演劇」だと思っているので、一応投票はしないでおいた。

リプツリーを覗くと「広告・宣伝が下手で内容がわからない」との意見がある。ほんまそれ。よくわからないものにお金を払える層がどれだけいるかという話だ。
私は「推しの顔見たさ」でチケットを何枚もとっているので、正直舞台の内容などどうでもいい。いや、折角観るなら面白いに越したことはないけども、私はどんなにつまらない映画でも寝ないタイプで、無心で観るのが得意だから大丈夫なのだ。
タイトルどーん!若手俳優の名前だーん!なんかそれっぽいキービジュ&キャッチコピーでーん!な、フライヤーだけで内容を理解しろというのは無理だと思う(勿論きちんとしたフライヤーやサイトもあるけど)。肝心のあらすじが蟻の足くらいちっちゃい字で書かれてたりしたらもう怒髪天。「選ばれし者しか読めない文字」じゃないか。考古学じゃねぇんだぞ。
私はまだ老眼を回避しているが、そう遠くないうちに奴らは必ずやってくる。そのときに、眼を凝らしてまであらすじを読むだろうか。現時点で読んでないんだから絶対読まない。ちなみに、私はサンシャイン劇場の座席ですら腰痛で悲鳴をあげそうになるので、観劇はある程度歳がいくと難しい趣味なのかもしれない。

「読まねぇ奴は客じゃねぇ」は、ごもっともだ。興味のない人間に媚びる金も時間も勿体無い。どんなに趣向を凝らしても、観ない奴は何だかんだと理由をつけて観ないだろう。
でも私は推しの顔が見たいのでチケットを買う。そういう人間も確かにいる。純粋に演劇が好きな人、役者や演出家などのファン、製作陣の友人知人以外を呼ぶには、やはり目の引く広告を作るしかないんじゃなかろうか。デザイン重視で視認性の低さが問題になるケースは、舞台に限った話じゃないんだろうけど。



オタクが2.5次元舞台以外に行かない理由

2.5次元舞台でついたファンは一般舞台を観に行かない」という説はよく聞くし、実際私もそう思う。推しの次の舞台は小劇場にも関わらずチケットが余ってる。推し以外にも、わりと人気の若手俳優も出ているのに、余っている。

俗にいう「若手イケメン俳優」のほとんどが2.5次元舞台に出ている・出ていたというのが昨今の風潮じゃないだろうか。
私の推しも2.5舞台で人気が出たタイプだが、2.5舞台と接触現場以外で遭遇する同担はだいたい同じ顔ぶれだ。つまり、大多数のオタクは「彼」が見たいのではなく「とあるキャラクターになっている彼」が見たいのだ。推しのファンとしては微妙な気持ちになる。しかし、否定も出来ない。

推しと共演した役者のことを「いいな」と感じることがあるし「他の役を演じているところを見てみたい」とも思う。思ってはいるけど、推しの舞台を全通するだけで精一杯だ。ツイキャスやLINEライブで「チケット発売中なのでよろしくお願いします」と必死に訴えかける彼らを見ていると申し訳なくなるので最近は視聴しないようにしている。ごめん…行けなくてごめんな…
私が油田の1つや2つ持っていたら彼ら全員養えるけど、現実はその日暮らしのほぼニートだ。「何に重きを置くか」は人によるし、他人がとやかく言うものではない。生活とチケットを天秤にかけたら、生活を優先すべきだろう(私の知ってるオタクはだいたいチケットを取るけど)。
そういう理由で「2.5次元舞台以外を観に行かない」という人も、きっといると思う。「よくわからない舞台」にお金を割くより「自分の好きな作品が原作の舞台」の方が安心感が違うだろう。金銭的な理由だけでなく、観劇には時間も必要だ。学生ならば学校があるし、社会人は仕事がある。各々の限られた時間を使ってでも「観たい」と思わせ、選ばれる作品にする……やっぱり2.5次元舞台って得だ。あらすじを読まなくてもだいたい話はわかってるし、原作のファンが既についているのだから。
まぁ「2.5次元化されて好きな作品・キャラが汚された」って主張を見かけることもあるけど、それは置いといて。



演劇を観に行かない人を劇場へ呼ぶには

結局、熱烈なファン以外を呼び込むのは難しいのだと思う。
上記アンケートのリプにもあったが、小さな舞台には「チケット販売のノルマ」が存在する場合が多い。「1人につき◯枚売れ」ってことだ。だから役者は自分の名義でチケットを買ってもらおうと必死になる。知名度があるならまだ救いようがあるが、無名の役者は友人知人家族を頼るしかない。それではいつまで経っても「お客さん」は増えないだろう。そういう構造が出来てしまっているのもよくない。よくないけど、チケットを売らないと劇場は借りられない。劇場を借りたからには売り上げがないとまずい。物凄い悪循環な気がする。

推しの次の舞台の話を友人にしたところ「楽しそうだから1回行こうかな」と言ってくれた。女神か。だがしかし、無理矢理呼び込んだ感も否めない。本当はあまり興味がないけど、私が鼻息荒く語ったせいで頷かざるを得なかったのかもしれない。
「チケット代払うから!」
私が慌てて言ったら「えーいいよいいよ。◯◯くん(推し)頑張ってるもんね」と友人は笑った。女神だ。
推しには大成してほしいし、美味しいご飯を食べて健康に過ごしてほしいし、西川の羽毛布団で快適に眠ってほしい。そのためには実績、つまり「お金を払う客がついている」ことを偉い人々に伝えなくてはならない。友人はそれがわかっているからチケットを自分で買って観に行く、と言ってくれたのだ。
私がチケットを購入し、彼女に渡しても、最終的にお金が辿り着くところは変わらない。けど「己の意思で買ったチケットで入った客」と「貰ったチケットで入った客」とでは、雲泥の差があると思う。結果が全ての世界で甘っちょろい話はしたくないが、そういう客はきっとこれからもお金を出して観にきてくれる。嫌々ではなく、自分の意思で。

友人のような人間は多くない。新規の客を呼び込むには、役者や製作陣は勿論、私たちオタクも頑張らないといけないのだろう。
チケットとるから、お金払うから、私と一緒に推しを観に行ってくれ。絶対楽しいし、損はさせないから。

頑張れば頑張るほどネズミ講っぽくなる。